2002年2月の不定期日記 
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不定期日記



■ 2002.2.27  

◇今日の『指輪物語』………ガンダルフ、手当たり次第に呪文を試す辺り、ナイスな爺さんです。ちゅうか、ちょっと仲悪そうな大の男二人が窮地に及んで団結し、決死の覚悟で吹雪のなか偵察に出たというのに、出発までの経緯を見ていたくせに、「でも、私こういうとこちょろいんだよね実は」って感じで後から出発して先行二人をさくさく追い抜かしていくエルフとか(君それ早く言ってあげなよ。男二人怒るよ)、古井戸なんか見つけちゃってついつい石投げ込んでみて怒られるホビットのぼうやとか(とりあえず石を投げてみるって、それ子供だって)、かなり親近感わくんですけど。このパーティー。


 話は変わって、問題は伸ばすか切るかです。

 と言っても、髪の話じゃありません。
 私が一応所属するはずの業界では何度となく議論された問題だと思うんですが、今ちょうどお客さん向けのマニュアルなぞ作っていて、やっぱり気になるわけです。サーバーと書くか、サーバと書くか。

 普段何も考えずにサーバとかプリンタとかルータとかロードバランサとか書き、言いまくっているわけですけど、普通の人にとっては、この言い回しってものすごく奇妙に聞こえるんじゃないかと思うのですが、どうでしょう。
 話すときは、私は概ね「サーバー」という発音ですが、これも前後にくる単語によって多少変わってきます。個人差も大きいです。

 語尾の横棒(長音)は外す、というのが、何となくこの業界の慣習になっているのは確かです。社内文書などで、「サーバー」などと書くと「素人くさいからやめろ」と言われるような雰囲気があります(こういう言い方って、狭量で嫌ですね)。

 ただ、だからといって無闇に語尾の長音を外しまくっていると、フロッピーはどうするんだとか(フロッピは、ちょっと業務文書には可愛いよね…)、コピーもコピと言うのかとか(それもまた微妙に、いやかなり間抜け)、このルールは全単語に適用するのかとか(とすると、コーヒーもコーヒと言わねばならない)、そういう揚げ足取り的な話になってきて、収拾がつかなくなるのです。しかも、2つ以上の単語が連結されているときはどうするんだ、とか(このへんで、そろそろうんざりしてくる)。レーザープリンターかレーザープリンタかレーザプリンタかとか訊かれると、ちゃぶ台ひっくり返したくなります。

 では、と持ち出されるのが、おおよそ次のルール。システム用語に限って、語尾の長音は基本的に取る。ただし、「コピー」など、取ると明らかに変な場合は残す。また、単語の間に入った長音は取らない。うん、これならだいぶすっきりします。レーザープリンタ、というわけです。

 ただ、これはお客さんも業界内部の人なら、これでいいです。コンピュータ(あ、癖で横棒取っちゃった)業界に直接関係のない人向けに書く場合は、かなり悩みます。というのは、こういう読者層というのは非常に個人差が大きくて、「サーバー」と書かれて、まずそれは何ぞやと思う人から、「サーバ」って書いてくれたほうがすっきりするじゃんと思うような人まで、いろいろだからです。
 今回は、どっちかというと、こっちなんですよね、読者層が。中には相当にシステムに詳しい人も多いんですが、コンピュータ業界の人というわけじゃない。

 そもそも今、新聞やら雑誌やらにシステム用語がかなり出てくるようになっています。今や、「データ−」なんて言い方は、あまり使われないですよね。ほとんどの人が「データ」で違和感なしだと思います。パソコンがこれだけ普及してきていて、システム用語と一般的な用語と、もはや区別がしづらい言葉がどんどん出てきているというのも、判断が鈍る原因。

 で、ウチでは結局どうなったかというと、長音に関しては全体統一ルールは作らずに、個々の単語ごとに表現を統一しようということになりました。だから、サーバはサーバで、プリンタはプリンタで、ユーザはユーザーで、コーヒーはコーヒーです。他にも出てきたら、その都度悩もうと。
 ちなみに調べたら、朝日新聞は、データはデータだけど、サーバはサーバー、プリンタもプリンターでした。やっぱり新聞業界はストイックです。


■ 2002.2.26  

◇今日の『指輪物語』………

「では、この指輪を力によって長くかれらから隠しきれぬとすれば」と、グロールフィンデルがいいました。「われらにできることは二つしかありません。これを大海の向こうに送るか、破壊するかです。」
「しかし、ガンダルフが説明したように、これを破壊することは、現在われらが持っている技や力では、及ばぬことなのだ。」と、エルロンドがいいました。「また、大海のかなたに住む者は、これを受け取ろうとはしないだろう。善きにつけ、悪しきにつけ、これは中つ国に属するものなのだ。これを処分するのは、今なおここに住むわれらの仕事だ。」
(J.R.R.トールキン『指輪物語 第一部・旅の仲間 下1』)

 全巻読み終わってから、ちゃんとした感想を書こうと思っていたのですが、あまりに長いし読むの時間かかるし、その間に忘れそうだし、ということで、思いついたときにちょこちょこ書いていこうと思います。

 上の引用部分。あまり書くとネタバレになってしまいますが、エルフの館での会議の一節です。これ以外にも会議のシーンは、全編にわたって、今の私たちにも実にいろいろと思い当たるふしのある議論が交わされます。このお話が第ニ次世界大戦中に書かれたということを考えると、指輪が意味するものは、さらに意味深ではあります。(もっとも、トールキン先生自身は、そういった比喩を許していないようですが)大戦後に発表されて、アメリカに一大ムーブメントを巻き起こしたというのも、さもありなん。

 自分で始末できないようなものは、つくっちゃいかんのです。ましてや、他人に押しつけるなど。
 自分のケツは自分で拭けってことです。<あれ、どうして私が表現すると、こんな非文学的修辞に(汗)

■ 2002.2.25  

◇今日の『指輪物語』………エルロンドの館の宴会、むっちゃ出たいんですけど(涎)そして、会議。みんな語る語る。でもこんな会議だったら、面白くて眠くなんかならないかも。いや、面白いなんて言ったら悪いか……

 うおー、ついに最寄の映画館で『Lord of the Rings』が先行上映されました。今週末には公開です。行きたい。行きたいよう〜〜〜

 ………でも原作はまだまだ第一部の折り返し地点を過ぎたとこくらいなんですけど。


 映画といえば、『千と千尋の神隠し』、ベルリン映画祭で金熊賞取りましたね。
 あの映画の世界は私にとって、理解する、というまでもないくらいに自分の感覚に密着したものでした。ヨーロッパの人々が、あのうようよと群れる、可愛らしい神様たちをどういうふうに理解したのか、正直よくわかりませんが、ああいう映画が評価された、というだけで嬉しいです。

■ 2002.2.19  

◇今日の『指輪物語』………ついに怪我人が出ました。ああ早く、早く裂け谷に着くと良いね。

 そわそわしています。
 どうやら私は、職場のあるビルに入っている書店さんで、重点顧客待遇になったようです。確かにあの店では、仕事関係の本を買うことも多いので、結構散財しています。文房具も置いているので、そちらでお世話になることも多いし。何人かいる書店員さんにももう顔を覚えられていて、本の注文の時なんか、ほとんど名前も聞かれません。行く時間帯のせいか一番よく会う店員のおばさまは、いつもにっこり笑って応対してくれます。
 ここまではいいのですが、それよりも何よりも、私の極端に偏った購買データがお店のマーケティングに影響を与えているのではないかと恐れています。
 でなければ、それほど広くない書店の限られた平積みスペースに、『指輪物語』ハードカバー全巻が積まれていた事実が理解できません。小さな書店なのに。来る客は8割がたサラリーマン(しかも入っている会社からして、ほとんどがコンピュータ関連職種)なのに!

 前々から、異様にツボを突いた品揃えだと思ってました。
 川上弘美の『センセイの鞄』なんか、有名になる前からいち早く置いていて、私はブームが来る前に読むことができたし(ブームになってからでは買わなかったろう)、結局他の書店で見つけることができなくて買いそびれた最相葉月のエッセイ本も、しばらく置いてあった(そのとき買っておけば!)。
 こんな品揃えで、私はお店の行く末が心配でなりません。いや、私はいいけど。

 それにしても、ビジネス書を押しのけて燦然と輝く『指輪物語』ハードカバーズ。今日、財布にお金が入っていなくて心底に良かった。もう文庫を買いはじめているのに、まったくなんて事をしてくれるのですか。
 大体が私は、大きなハードカバーに弱いです。小学生のときにはまり放題にはまった『はてしない物語』からこのかた、私のハードカバーコンプレックスは筋金入りです。布張りだったりしたら、もうイチコロだったに違いない。『はてしない物語』しかり、ボルヘスの『砂の本』しかり、本のなかにはもうひとつの世界があって、大きな本ほど大きなエンジンが積まれていると、私の現実逃避本能にはインプリンティングされている。

 それに加えて、『指輪』の場合、もっと決定的な誘惑要因があるのです。人から聞いたのですが、文庫には最後に、原作にはあるという追補が収録されていないそうですな。そう言われると、途端に読みたくなります。あの気の利いた序文があるのに、追補がないなんて、蕎麦を蕎麦湯でシメないようなものです。
 平積みのまわりを10分くらいもうろうろして、完全な不審人物に成り果てていました。
 あああ、志望校を理系から文系に換えたときだって、こんなに悩まなかったよ……

■ 2002.2.17  

◇今日の『指輪物語』………馳夫、本名発覚。というわけで、映画ではきっと本名のほうでいくんでしょうな。字幕に馳夫とか出てきたらかなりシュールだと思っていたもので。

 同期が、また一人会社を辞めます。
 今日は彼女の転職祝いに行ってきました。
 一年前なら、無条件で羨ましくて堪らなかっただろうけど、今はわりと平静に、全然別の職種に転身する彼女を心から祝福して送り出すことができます。私のなかでの転職したいピークは一山を越えた感じです。

 就職するときはとにかくもう、親の脛を盾にいろいろ言われるのが嫌で、一刻も早く家を出たくて、それで就職先も実家地域は避けて通ったくらいでした。自分の食い扶持は自分で稼ぐ、個人的な趣味とは180度逆方向の仕事だけど、趣味は趣味、仕事は仕事だと思って、進学を勧める先生の誘いも蹴って就職したのです。

 今では、というか今の職場では、趣味は趣味、仕事は仕事なんて思っても、趣味に思う存分走れるだけの時間と気力を捻出するのがどれくらい難しいか、そう長くない勤め人生活でよーく理解しました。今の職場の運営方針が嫌で嫌で、趣味のほうを仕事にしたいと真剣に思った時期もあったけど、これもちょっと待てよ、と思った。仕事にした途端、今、仕事で嫌だと思っているような事態が、自分の好きなことの分野で起こるんじゃないかと。
 たとえば、絵を書くことを仕事にしたとしたら、今のように描きたいものだけ描くということにはいきませんな。当然のことですけど。そういう当然のことが、なかなか見えてこなかったのです。もうどうでもいいから辞めたい、と思っているときには。

 ずるずると仕事が忙しくて、あまり真剣に転職について活動できなかった間に、そんなことがじわじわとわかってきて、これはある意味リハビリができてきたということなんでしょうか。
 それを本職にしている人から見れば負け犬の言い分なんでしょうが、今のところ、私の好きなことは、趣味の範囲でいいと思っています。絵にしても、本にしても。アマチュアでいたい、と思うようになりました。そのほうが身軽に楽しめる。
 でもって、食い扶持を稼ぐ場は、できるだけ自分にとって居心地のいいところがベストなわけですが、これはどうしたものでしょうね。まあ今のところ、焦って探そうとは思ってませんが、今の位置でまず、身の回りに何か面白いことがないか、もっと周りを見回そうと、ちょっと思ったわけです。
 おととしから去年前半の超近視眼的な自分は、思い返しても恥ずかしい。(<久々に会った彼女に、「去年のゆきえちゃん、荒れてたよね」と言われて、今猛烈に反省モード…(汗))


■ 2002.2.15  

◇今日の『指輪物語』………馳夫登場。おおこれが噂の。どれどれと人為を研究する前に阿鼻叫喚の東海道線@朝のラッシュ時の奔流に巻き込まれ成果が途絶えております。なめくじのような歩みです。

 普段、地元ローカル私鉄一本で事が足りている私が、なぜ東海道線なぞに特攻していたかと申しますと、カレーや紅茶の名前にもなっている言語を習いにえっちらおっちら東京まで赴いていたのです。<こう言ってわかる方がどれだけおられるでしょう……わからなくても全然問題ありません。フランス語習いに行くのと基本的におんなじことです。
 言語って、何であれ習っているときは無性に楽しいですね。使う段になって実は全然身についていなくて嫌になるんですが。


■ 2002.2.11  

 映画の予習をせねば、ということで、この連休から『指輪物語』を読んでいます。
 三連休、家で風邪療養と称してごろごろしていたわりには、いまだ第一部旅の仲間・上の2(要するに、2巻目)をふらふらしています。
 自分ではファンタジー好きだと思っていたわりには、『指輪』をはじめ古典的な正統派ファンタジーは全然読んでいなかったことが、この期に及んで発覚。入り浸っていた小中学校の図書室には確かに『指輪』も『ナルニア国物語』も『ゲド戦記』もありました。ちゃんとあったという記憶すらも残っているにもかかわらず、私はその隣の棚のホームズやらルパンやら三銃士シリーズやら明智少年物などに走っていて、すでに今の本の趣味の片鱗どころか、そのまんま今の嗜好に繋がっているところがなんとも言えません。

 で、翻訳物を読んだのは最近では『ハリー・ポッター』以外では久しぶりなのですが、翻訳特有のちょっとした言い回しとかの引っ掛かり云々より、「ですます」体で書かれているってところにちょっと戦きました。あと展開がわりにゆっくりだなあ、と思いつつ、これはRPGなんだしこれでいいのだ、と納得しつつ。そういえば、私がドラクエ挫折したのは、あの展開が遅いところがネックだったんだよなあ、と思い出しつつ。

 なんて書いてますが、実際『指輪』はかなり楽しんで読んでます。
 ただいまパーティーはめでたく仲間が揃って古森の中を進行中。怖くないように歌を歌ってます。
 しばらくこの調子で『指輪』日記になりそうです(汗)


■ 2002.2.8  

 職場をまる二巡した風邪を、最後の最後でもらってしまいました。
 せっかくの三連休、寝て過ごすことがほぼ確定。
 熱があると、なんだか妙にハイになりますよね。今日は一日中、それこそ箸が転がってもへらへら笑っているような勢いで、「こいつ、イッちゃってる……」とみんなに一目置かれ、ではなく一歩引かれて遠巻きにされていました。そのほうが、うつらなくっていいですけどね。

 ところで、いま水面下で、サイトのファイル整理をしています。ホームディレクトリ直下が、おびただしい数のファイルでワケわかんなくなっているからです。散らかってみないと片付けない性格が、ここでも出ている…
 いや、ホーム直下に展開していけば、いずれこうなるとはわかっていたのですが、まあそうそう急にファイル数も増えないだろうし、大したことないだろうと思ってたのです。もっと言えば、増えて増えて、どうしようもなくなってから、考えよう、と。

 この考え方が積もり積もって、あの数年前に大騒ぎした2000年問題なんかが起きるんですね。

 サーバを移って、使える容量が飛躍的に増えたあおりで、それまでみみっちく容量を節約していたのが、箍が外れたようにぱかぱか無節操にファイルを作った結果、当初の予想より遥かに早く、ワケわかんない状態になってしまったわけです。今、フォルダを作ってちょっとずつ見やすくしているのですが、これもなんだか右のものを左に寄せただけって気もしないでもないなあ。
 そういうわけですので、リンク切れ等のバグ報告は、遠慮なくサポートセンターまでお寄せください。


■ 2002.2.3  

 今夜はシチューよ。

 なんて、どこかの食品メーカーのCMのような台詞を口走りながら、久しぶりにシチューなぞ作りました。普段仕事のある日は帰りが遅いので、ほとんど料理はしないのですが、その反動で、たまにこういう時間のかかるものを作りたくなります。時間のかかるものといっても、私の場合、煮込み料理に限ります。お菓子作りなども時間がかかるんでしょうが、ああいうきちんと計量しないといけない種類のものはダメです。苦手です。根がずぼらに出来てます。

 ルウから作る根性もないので、市販のシチューのもとを買ってきて、材料の野菜も買ってきます。じゃがいもとか、にんじんとかの皮むきしてると、なんだか無心になってきます。はたと気づいたときには、かなり大量になってしまってましたが、煮込んだら多少縮むさー(<縮む?)と、気にせず鍋に突っ込みます。最初に炒めるときが一苦労ですが、たまねぎがしなしなしてきたところで、えいやっと水を入れちまいます。あとは弱火で煮込むのみ。野菜がやわらかくなったら、ルウを入れて、さらに煮込むのみ。
 
 そして、できあがりました。鍋いっぱいのシチュー。手順は簡単なのに、妙に達成感があります。
 野菜もたっぷりで、ビタミン集中摂取。
 
 え? ええ、そうです。鍋いっぱいです。かるく6〜7人前はあるでしょうか。
 いいんです。達成感あるから。男の料理ですから。


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