2002年11月の不定期日記 
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不定期日記



■ 2002.11.30   本日はお日柄もよく

 友人の結婚式でした。今年、4件目……

 送り出す 笑顔映え染む冬日かな 懐渡る 木枯らし悲しき

 披露宴の間、小編成のアンサンブルで演奏してました。バックミュージックを生オケでやってしまおうという趣向。練習不足もいいところだけど、その分、ぶっつけ本番の緊張感でカバー。その上、途中からアンサンブルのメンバーにもお酒が配られはじめ、皆調子に乗って飲み始めるというとんでもないバックバンド。でも、なんだか、ダンスホールの三文楽士になったようで、楽しかった。


■ 2002.11.25   日没閉門

 まずはお詫びを。11月19日の日記は削除しました。
 不快な思いをさせてしまった方々には大変申し訳ありませんでした。こういう、気づかないで無礼を働いている自分が心底嫌です。心からお詫びいたします。

 ここしばらくの日記を眺めていて、どうもまずい方向に来ているような気がしますので、しばらく閉門しようかと思います。コンテンツの更新は、しばし止まります。日記やなんかは、ときどき生垣から顔を出すように、天気がいいときだけ更新しようかと思います。

 門のなかは、深海です。一応は勤め人なので、水面に顔を出している振りをしていますが、深海ライフはわりと快適です。実際問題そんな深刻なことじゃないのですが、バイオリズムが低下する時期が、どうしてもある周期でやってくるらしい。でも基本的にお調子者なので、そのうち寂しくなって浮上してきます。そのときには、どうか呆れずに遊んでやってください。


■ 2002.11.23   日付が

 変わってしまったが、まあいいか。

 このところ無体に仕事を増やされた上に尻拭い系の雑用ばかりが降ってきて沈没してます。この事態を生み出したほぼ全ての元凶は某ろくでなしマネージャーなんですが、そう思っているのは皆同じのようで、どうやらこのままではチームの半分くらいのメンバーが抜けそうな勢いです。これはこれで面白いことになってきた、と思ってしまうのは悪趣味でしょうか。沈みゆく船に乗るのもいろんなことが見えて面白いけど、早晩面白いだけじゃ済まない事態になるのはわかっている。
 年の瀬にしけた話はやだねえ……と、そんな話題を肴に職場の人と「十四代」飲んでました。職場の近くの、ごく普通の居酒屋なんですが、日本酒の揃いがすごい。「越の寒梅」「雪中梅」「緑川」がほぼ確実に飲める地元の店はここくらい。最近、「十四代」も入るということがわかって、もう行きつけと化しそうです。一緒に飲みに行った先輩は、ボトルキープしてくれないかなあ、なんて言ってました。
 ……えーと、日本酒だと一升瓶でキープするわけ?


■ 2002.11.13   年中行事

 こころの余裕のなさが生活面や健康管理にもろに跳ね返っているようで、どうもまずいな、と思いつつも、だからといって「元気出そうぜ!」みたいなノリは逆さに振っても出てこないダウナーな私は、こういう場合「放って置かれる」のが一番気が楽なんですが、そうもいかないのが浮世の悲しさ。そもそもこの余裕のなさは、毎度お馴染みの年度末大騒動への前奏曲。毎年毎年、懲りないよな、と思う。事前に絶対にわかっているのに、避けられない騒動というのが世の中にはあるんだってことを、会社に入って知りました。キギョウのケイザイカツドウの実態って、実際のところかなり謎です。ふう。

 こういう心理と相性がいいのは、漱石先生だったりする。ということで、『草枕』読了。
 とにかく漢文の圧倒的な教養の前にひれ伏しながらも、なんだか気持ちのいい文章でした。
 ひょっとすると『草枕』は、漱石には珍しく、マニエリズムを追求した文章なのかもしれないと思う。筋なんか追わなくていい、意味なんか考えなくていい、ただ言葉の流れを楽しめればいい。それが文章を軽やかにしている。登場人物は絵空事のようにシャープな会話を交わす。様々な会話は、所謂「人間心理の洞察」なんぞに門前払いを食らわせるかのように、ただ絵のように文章のなかにすっくと佇んでいる。「人間が書けていない」なんて糞食らえ。人間が書けたら、誰も小説なんか書かないのだ………と、思う。ううむ、余裕がないと口が悪くなるな。<言い訳
 でも、なんとなくこの調子で漱石先生、コンプリートできるかしら。


■ 2002.11.10   アッパー系とダウナー系

 かものはしのような新幹線に乗って、神戸に行ってきました。こんなことを言うと関西の人に失礼かもしれませんが、適度に人が少なくて、とても街の居心地・歩き心地が良かったです。もう渋谷とか新宿とか、ぞっとします。あれは人間の街じゃないと思う。

 文庫本を持っていくのを忘れて、行きの電車に乗る前にそこらへんの本屋で脊椎反射で掴んだのが、三島由紀夫の『葉隠入門』……なぜだ私。何考えてたんだろうか。もう選択の基準が自分でもさっぱり。しかし、『葉隠』って、ずいぶんと暑苦しい内容の書物だったんですね。過去の経緯でファナティックなイメージのつきまとう本だということもよく知らなかった常識なしの私ですが、そんなことより、とにかく熱いです。このアッパーさ加減には私はついていけません。反動で帰りは荷風散人の『ぼく東綺譚』。半分もいかないうちに寝ちゃいましたが。さんずいに墨の『ぼく』が変換できない…間抜け……


■ 2002.11.6   昼ご飯が

 板チョコ半分。なんてことをしたら、夕方ごろ胃が痛くなりました。ストレスのはけ口のようにコーヒーがぶ飲みしてたしな。誰もが嫌がって飲まない煮詰まったコーヒーが、私は実は結構好きで、ほっとくと一日10杯くらい飲んでたりするんだが、さすがにすきっ腹に浴びせるのは身体に悪そうです。(でもアメリカンなんか飲むくらいなら断水したほうがまし)

 疲れ果てた帰り道に読むのは『草枕』。ぼへーっと、よく意味のわからない漢語の群れを流し読みするのが、ヒーリング音楽を聴くように気持ちいいのだが、しかし実はこれほど挑発的な内容の文章もないと思う。登場人物たちの斬るか斬られるかの会話なんて、これこそサスペンスっていうものだろう。
 夏目漱石が隠遁者だなんて、とんでもない。彼は出不精だったかもしれないが、骨がらみのファイターだと思う。『則天去私』って、漱石の洒落だよね、きっと。


■ 2002.11.4   酔っ払いに火の番

 風邪の波状攻撃で弱っているところに、仕事のボリュームは増えるはスケジュールはタイトになるわで踏んだり蹴ったりな今日この頃、唯一の息抜きが料理になってきました。夏はもう火の側に寄ること自体が億劫で自然と食生活が荒れるのですが、その点冬はいいです。煮込みなんかするときは、コンロの前に椅子を引きずってきて、煮込んでいる間火に当たりながら本読んだりします。なんか落ち着くんですよね。鍋の前って。今日は安いワインを買ってきて、半分はシチューにぶち込み、半分は飲みながらシチューの火の番をしてました。一人だからこそできる、自堕落な料理。のんべんだらりと野菜の皮むきし、のんべんだらりと灰汁を取り、のんべんだらり味付けし、合間合間にちびちび飲みながら漬物などかじり(ワインと浅漬け、意外と合うと思うんですけど、どうですか?)これが結構、気持ちいい。キッチンドランカーになる気持ちがちょっとわかったり。






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