2003年3月の不定期日記 
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不定期日記



■ 2003.3.30   趣向

 って、変わるものです。と、しみじみ。
 炭酸入りのミネラルウォーターにはまってしまいました。
 昔、卒業旅行でヨーロッパに行ったときには苦手で苦手で閉口したもんです。なにせスーパーに売っている水のほとんどがガス入りで、あえてcon gasの表示もしていないものが多くて、まさにロシアンルーレット状態。買っては、泣きながら振って歩いて炭酸を抜く日々だったというのに。
 銘柄にこだわりはないので、安いやつを買うんですが、これにレモンかライムをぎゅーっと絞って飲むのが堪らない。週末なら、ここにウオッカをちょっと入れてみたりする。

 昔嫌いで今好きになったものと、昔好きだったのに今嫌いになったものと、どちらが多いんだろうな。開眼と幻滅と。過去の細部は忘れ去られて、いい思い出だけが鮮明に残るという、大雑把かつ都合のいいシステムを人の脳が備えているのは、きっと幸いなことなんだろう。

 そういえば、今年もストの決行はありませんでした。「ご心配をおかけしました」のアナウンスを電車の中で聞きながら、うららかな春。


■ 2003.3.25   春来たりなば

 通勤に使う私鉄の車内にストの告知を発見して、春の到来を実感します。毎年楽しみにしているのに、告知だけで実際にストが起きたためしはないんですが、全車両分、告知文を印刷するだけでも、その意気やよしと思います。ウチの業界じゃありえないだろうなあ……全国のオンラインが一斉に停止したら、さぞかし見物だろう。金融・商業系だけなら金銭的損害だけで済むだろうけど、運輸や医療系は人命に影響を及ぼしかねないから、難しいところです。

 とりあえず、今日、業務委託先の営業さんとスケジュール調整をしていたら、4月まで休めないことが判明しました。営業さんともども苦笑い。1週間くらいストろうかと思っていたのに。と、お互い思っていたのに(笑) ま、1週間くらいじゃ代休の消化にもなりませんが。

 Henninger……なんて読むんだろう。ドイツのビール。辛い。辛いです。でもソーセージと合って美味い。


■ 2003.3.24   グロールシュ

 オランダのビール。もう開き直って飲酒日記。最近外国のビールのほうが国産より安くて、ポリシーのない私はジャケ買いのノリで買っては試飲中。
 コンテストで数々の賞を受けたというこのヒトはスーパードライ系の味で、冷やした駆けつけ一杯はおいしいけれど、個人的にはやはりちょっと苦手。アルコール度数は高めで、何も食べずに飲むといい感じにほろ酔い加減。

 今日は出先にハンカチを置いてきました。今年の冬はなくし物が多いです。大物はマフラーから手袋まで。ハンカチ、筆記用具の類は数知れず。神様が身軽になれと言っているのか。そういえばこの間、本棚の整理をしていたら、容量200%で詰め込んでいる(文庫本2列横隊状態…)棚がたわんでいるのを見てぞっとしました。
 本気で、身辺整理が必要なようです。


■ 2003.3.23   日曜美術館族

 土曜日や日曜日に東京の美術館や博物館のちょっと大きな展覧会に行くと、芋を洗うがごとき満員御礼なのはいつものことなんですが、そのなかに、どう見ても展示されている内容に普段は一片の関心もなさそうな人がかなりの割合見受けられて、そういう人は展示品を眺めている人を押しのけてぬっと身を乗り出し、ケースを一瞥するや誰かの足でも踏みそうな勢いで次へと転進するので、バーゲン会場か何かに来ているような錯覚に陥るときがあります。そうでなければ展示品の前で二人の世界に入って大渋滞の元凶を作るカップルは鴨川の河原のような様相を呈しているし、動物園のように子供は走り回るしで、上野の森はワンダーランドです。
 おそらくこういう風景は程度の差こそあれ日本津々浦々で見られるんでしょうが、私は少なくとも関東に出てくる前にはほとんど遭遇したことがなかったので、あれほど好きだった美術館めぐりがかなり億劫になってます。でも、思えば関東に出てくる前といえば学生時代で、平日に美術館やら博物館やら通い倒していたのだから、空いてて当然ですね。いい時代だった……

 もっとも、関東と関西と人口の差もあると思います。通勤電車の阿鼻叫喚もさることながら、私的に切実な問題として、何しろこちらではチケットが取れない! 関西や実家地方で余裕で取れるチケットの、東京公演が取れないのなんの。
 こういうとき衝動的に首都移転論者になりそうです。長野はちょっと行きづらいでしょうから、岐阜あたりどうですかね。日本のどまんなかですし、緑豊かな山の中、雑念なく行政に勤しめるのではないでしょうか。海沿いがよければ三重というのも堅実でいいと思います。何故愛知を避けるのかって? 『金鯱の夢』(清水義範 著)で想像しちゃったのでもういいのです………というのは冗談にしても、もしも東京という土地が首都機能を失ったとき、今の京都のように都市として一定の機能と矜持を持ちつづけられるかという点については、ちょっと、いえかなり興味があったりして。

 そんなわけで(どんなわけだ)、今日はスーパードライにライムを絞ってみた。これならスーパードライも飲めます。
 いかん、なんか飲酒日記になってきたな…

■ 2003.3.22   今日は自宅待機

 一報があったらすぐに会社に来てくれと言われてるけど、だったらいっそ出勤したほうがいいと思うんですがどうですか。

 かま焼きが、家でも簡単にできることが判明しました。スーパーで売っている鰤かかんぱちのかまを買ってきて(今日はかんぱちを入手)、酒と塩を振ってしばらく置いた後、魚用のガスレンジで焼くだけです。レモン絞って、大根おろしでもいいけど、茗荷なんかの香りが強いのを薬味にした醤油をちょっとつけると美味いです。しかし、こんな居酒屋メニューばっかりレパートリーを増やしてどうする私。

 嵐山光三郎の『文人悪食』(新潮文庫)を読んでます。すごく面白い。知らなかったのですが、嵐山さんて壇一雄をはじめ、錚々たる作家たちをその目で見てきた編集者だったんですね。この本は、お料理本でもグルメ案内でもなく、日本の代表的な作家たちの、一級の評論であり、評伝だと思う。嵐山さんは作家たちの奇矯な振る舞いや独善、身勝手わがまま、痴情のもつれまで、正直に描き出すけれども、その文章にはどことなく彼らへの親しみがこもっている。読者は作品のイメージを引きずって作家を見るから、えてしてイメージギャップには容赦ないけれども、嵐山さんの文章には、実際に人間として作家たちとつきあったからこそ、どこか彼らを憎めないやさしさのようなものを感じます。私個人としては今まで嫌いだった作家たち、例えば生理的に受け付けない島崎藤村や、内田百閧ニ同じ借金大王でも可愛げのない石川啄木、「甘ったれるんじゃねえ」とハリセンでひっぱたきたくなる中原中也まで、虚心に「一度読んで見ようか」という気にさせられるから凄いです。特に実際に担当したという壇一雄についての章からは、つきない敬愛と愛惜を感じて、こちらまで胸が熱くなります。

 それにしても、プロはだしの壇一雄はともかくとしても、昔の人って結構料理するんですね。今みたいにファーストフードがないから当り前か。米がとげないから炊飯器も使えないという、うちの会社の後輩(男)に爪の垢でも飲ませたいところです。


■ 2003.3.21   ペンギンのペンギン

 月面に最初の一歩を記したのはペンギンである。
 (『ペンギンのペンギン』デニス・トラウド/トム・カレンバーグ/谷川俊太郎・訳 中公文庫)


 そうだ! アメリカ大陸を発見したのも、ジャズを生み出したのも、ベースボールを人口に膾炙したのも、はじめて核爆弾の開発に成功したのも、インターネットを地球に広めたのも、世界の警察も、中東の平和を守るのも、みんなペンギンなのである!



■ 2003.3.18   冷凍庫の政権交代

 アイス・ジンがいなくなって、ストリチナヤがやってきました。
 ハーゲンダッツとか、そういう可愛いものはどこ行ったかなあ……


■ 2003.3.16   レーベンブロイ

 ドイツのビールです。街に出たら、食料品店で安くなっていたので入手してきました。ああこのビール嫌いだった私がビール買って帰るようになるなんて…… 人はこうやって歳を取っていくんですね。

 ライムを生齧りするとおいしいということを最近発見しました。カクテルなんかに入っているやつを齧ったことはなかったのですが、レモンほど酸味がなくて甘くなくて、とても私好みの味。難点は、高いこと。1個、120円から150円くらいします。しかも、地元のスーパーに売ってません。わざわざ街まで出て、ライム1個買ってくるのも贅沢な話です。でも今日は見つけた日が吉日で買ってしまう。ついでに空豆も買ってしまう。うう、走りだから高いよう。でも、私は空豆の塩茹でが大好きなんです。もう隠しようもなく、酒のつまみ系な好物……

 ところで、酒に強い人の例えで、「ザル」というのは知ってますが、その最上級で「ワク」というのがあると友人に聞きました。これって一般的な用語なんですか? それよりも「うわばみ」というのは知ってましたが、「ワク」を教えてくれた友人は知りませんでした。「うわばみ」って、確か大蛇のことなんですよね。いずれにしても、どうにも外聞の悪い呼ばれようです。私がいいなあと思うのは、中国で言う「海量」。海ほど飲めるってことらしい。このスケールがいいよね。(や、そんな飲みませんけどね)

 で、私は「ザル」でも「ワク」でもないんですが、とにかく酔いが顔に出ないので損をします。淡々と飲んでいて、突然撃沈するタイプ。飲んでる間静かなのは、飲み始めてしばらくで眠くなるから。かといって突っ伏して寝るほどではなくて、ふわふわと気持ちよくて、判断力も適当に鈍くなっているので、さくさくペースが上がって、そのうち臨界点がやってきて、はい撃沈、というパターン。これだけわかっているのに、なんでいつもハマるかなあ……


■ 2003.3.15   BACHと書いてバッハ

 でも、トランペッターなら、バックと読む。(そういう名前の楽器メーカーがあるのです。)

 ファジル・サイの『BACH』を聞いてます。グールドの強めで明瞭なタッチに比べて、この人のは若干ソフト。特に弱音が繊細。それでいてクリアな音で、聞いていて負担がかからない。
 疲れたときには、バッハが聞きたくなる。感動とか、技巧とか、ロマンとか、そういうものは人を揺さぶるけれど、その揺さぶりさえもうっとうしくなるときがある。そういう、一種の聞き手への干渉が、バッハの音楽にはない。ただ存在する、それだけで完結した世界があって、そうやって突き放された感じになんだか安心したりする。自分がここでどんなにへこんでいたって、美しいものは美しいもので、俗世界の右往左往なぞ知らん顔で存在しているのだということ。確固として不変なものへの憧れっていうのが、どこかにあるらしい。『永遠の輝き』なんていう、ダイヤモンドの広告のコピーに、「でも人生は有限だよな」と突っ込み入れてた私でも。
 サイのバッハ集には、無伴奏ヴァイオリンソナタの『シャコンヌ』のピアノ編曲版(ブゾーニ編)が入っていて、これがまたいいです。ヴァイオリンとはまた違った華やかさ。原曲より音が増えてるんじゃないかと思いますが、ピアノ特有のきらきらした感じがとても美しい。原曲のイメージが壊れず、かつ楽器の特性がよく活かされた稀有な編曲だと思う。

 このところ休みっぱなしのオーケストラですが、先日パートリーダーから楽譜が送られてきました。分厚い楽譜が綺麗に製本されているあたり、「早く練習に出て来んかい」という怨念がみっちりこもってました(汗) 曲がまた、チャイコフスキーの『1812年』。うわー、また騒々しいのを。バッハが神様を召還する天上の音楽なら、チャイコフスキーは感情まみれの地上の音楽ですな。それも最強の。てゆうか、奴は熱唱演歌系ロマンチスト。それはいいけど、楽譜にフォルテ4つとか、ピアノ5つとか書かないでほしい。言いたいことはよくわかるけど。


■ 2003.3.9   物欲の嵐

 脱全中途半端状態ミッションその2として、腕時計の修理に行ってきました。ああささやか過ぎる。でもこのささやかなことを3ヶ月放っていた私…… 以前なら日常生活に即困るのですぐに腰を上げていたと思いますが、今は携帯やらPHSやらパソコンの時計やら回りは時計だらけで、腕時計がなくても困らない状態だったのが敗因。とはいえ、人前で携帯を見るあの動作が私はどうにも嫌いなので、街に出たついでにデパートのリペアコーナーに。電池交換と、あと部品がひとつずれていたらしい。前に電池交換したときの扱いが悪かった模様。くそう、もうあの量販店の修理コーナーには近寄るまい。修理費高かったけど、やはり腕のしっかりした人に見てもらうのは気持ちいいです。

 ものの10分ほどで修理してもらって、なんとなくそのまま時計の売場をウインドウショッピング。そういえば、私は腕時計を自分で買ったことがありません。今持っている腕時計は2つあるんですが、両方とも学生時代に母に買ってもらったものです。しょっちゅう時計をなくす人間だったので、事ある毎の両親や姉妹からのプレゼントは時計と相場が決まっていました。一番ひどいのが、高校3年のセンター試験直前になくして、「誕生日プレゼント前倒し」で、時計を買われてしまったとき。いやプレゼントは嬉しいけど、夢も希望もないやね。とほほ。こういう家族の習慣に加えて、私がまた壊れるかなくすかしない限り、今あるものを使い続ける性分なので、なかなか自分で時計を買う機会がやって来ない。社会人になったら自分で買うぞ、と意気込んでいたのに、今持っている2つは、しぶとく手元に生き残って使用最長記録を更新している。自分で選んだ時計買いたい野望は年々膨らむばかりなんですが、うーん今買うと3つ目だしな。時と場合によって使い分けるなんて神経細やかなことしないもんな……

 ちなみに、今のメイン腕時計は、CITIZENの文字盤が二つついたやつ、いわゆるスッチー時計というやつです。最初片方を香港時間にして遊んでいましたが、時間が近いのが紛らわしくて実生活で事故りそうだったので(遅刻の言い訳に「香港時間」は通用すまい…)、今は芸なく、両方とも同じ時間になってます。今日、売場を冷やかしていて、LUKIAの紺色の文字盤のモデルがなくなっていたことにショック(てゆうか、情報古すぎです。だいぶ前になくなったらしい)。基本的に国産のが好きなんですが、agnis b.の世界地図がプリントされた青いやつもいいなあと思いました。ごっつくて文字盤でかくて、日付表示があるやつが欲しい〜

 ……人間、普段灰色の背広軍団と、洒落っ気も何もない機械に一日の大半を囲まれて過ごしていると、こういうきらびやかなところに出てくるなり、箍が外れるようです。やっとのことで発作を抑えて時計売場を出たものの、その後春コートを衝動買いしてるから、もうつける薬なし。でも去年までのはもう5年も着たからいいよね。ね。(誰に言い訳してるんだ私は)


■ 2003.3.8   次に生まれるならロシア人

 文学とウオトカとチェスと音楽と革命と闇市の国。

 前回(って何よ。連載じゃないのよ日記なのよ)に引き続きピアノネタで恐縮ですが、ブラームスのピアノコンチェルト2番というと、私の中では『リヴィエラを撃て』(高村薫 新潮文庫)に直結します。『リヴィエラを撃て』は高村作品のなかでも一番に好きな作品ですが、そうは言いつつ、小説のクライマックス近くに出てくるこの曲、実は今の今までまともに聞いたことがなかったのです。リヴィエラを追いつづけた様々な人物が一堂に会する因縁の演奏会で弾かれるこの曲、実際に聞いた感想は、正直言って、期待していたような悪魔的な吸引力はない曲だな、と。一言で言えば、健康的過ぎる。高村さんに堪えられようもなくドラマチックに描き出されているコンサートの場面なのですが、それにふさわしい影があまりないように感じました。ピアノ譜が鬼のように超絶技巧で埋め尽くされているであろうことは聞けばわかるけど、曲全体が、あくまで交響曲を書こうというブラームスの意思に支配されているだけに、あまりに正統派なドラマチックさ加減なのです。いかにもピアニスティックな超絶技巧至上主義なリストやラフマニノフの曲に感じるような不健康さはないのです。いや、あくまで私の好みですけどね。それに、曲を知った上で小説を読んでいれば、また感想は違ったのかもしれないけれど。あ、でも曲自体は結構好きです。痺れます。重低音炸裂系なところが何とも。

 ここまで好き勝手なこと言っちゃった手前ですのでさらに言っちゃいますが、シンクレアにここで弾かせるなら、私ならラフマニノフの3番でしょう。2番もいいけど、有名すぎるのがここでは瑕になる。あ、でも3番も『シャイン』で有名になっちゃったか。それに作中のシンクレアのレパートリーを考えると、ロシア物はあまり演りそうにないですね。ヘルフゴットの3番は実はあまり好きではなくて(パッションは認めますが、あそこまでミスタッチが多いとちょっと)、私の刷り込まれ演奏は、アンドレ・ワッツの69年録音、小沢征爾指揮ニューヨーク・フィルのやつです。やや、単なる私の趣味か。<どうしようもないロシア物好き。<てゆうか小説と音楽の楽しみ方間違い過ぎ。


■ 2003.3.2   「東京に空はない」

 昨日の大雨は何だったんでしょうね。新橋で羽目を外していたらいつのまにやら東海道線が止まっていて、危うく大雨の大東京で路頭に迷うところでした。ちなみに、こんな天気にもめげずに集まっていたのは、例の忘年会仕切り直し企画。宴会に対する希求心だけは強い連中です。
 にしても、東京というところは、本当にちょっとしたことで人っ子一人いなくなる街ですね。23時ごろに店を出たら、日比谷口前に誰一人いなくてびっくりしました。しかしこういう在り方は、市や岐の延長の街としては正しいというか、当然のことなのかもしれないけれど。交通の便の良いところに自然と人が集まって価値の交換が始まったとすれば、人が集まらなくなれば廃れるし、雨天なら容赦なく中止だ。そう考えると、都市廃墟論なんてそう大上段な話ではなくて、人のいなくなった都市はそもそも廃墟なんである。そして、その廃墟の中心にある皇居っていうのは、やはり何だかシンボリックな存在なんだな、と。

 てなことを考えてたのは、今日も相変わらずお濠のあたりをうろうろしていたからで、出光美術館が見つからなくて彷徨っていたのでした。帝劇ビルを一周してしまいました。その帝劇ビルの9階だというのに。やはり東京では土地勘が狂う。
 特集展示の板谷波山の作品を見たのは初めてでしたが、正直言ってあんまり好きな作風ではない。ただ陶芸作品といっしょにデザイン素描が並列展示してあって、そちらは見事だと思いました。少しアールヌーヴォー入った斬新なデザイン画が残されていて、しかしそれをモチーフにした陶芸作品になると、淡い色合いの作風で、何だか全然違うものを見ている気になる。まあいくつかは好きな作品もあって、梅や桃の香合や、茶碗は美しいと思いました。特に異色なのが、『命ごい』という銘の天目茶碗。銘も凄くて由来が気になるけど、色がまた凄い。縁の黒から、糸尻に向かって、暮れ方、逢魔ヶ刻の空のような、紫が多分に入った紅がかかっていて、好き嫌いはともかくとして、ちょっと忘れられない色合いです。

 ちょっと面白そうな紙面だったので、『エスクァイア』を買いました。男性誌を見ててやたら目につくのは車と時計とスーツの広告。逆に女性誌は化粧品中心で、そちらにそれほど興味のない私は男性誌のほうが面白かったりする。そうそう、紳士服の広告やお店を見てていつも思うのが、やっぱり男物のほうが素材がいいものが絶対に多いと思う。スーツなども、この素材とデザインで、カッティングだけ女性向けにしてくれないかなあといつも思う。私にとってスーツなんざ作業服なんですが、作業服だけに型崩れせず、多少の乱暴な扱いにも耐える丈夫さと動きやすさときちんと収納場所があるやつが欲しいんです。……とか言ってるうちに、そういえばこの間サーバの設置に行ったときに、肘引っ掛けて上着一枚駄目にしたのを思い出してしまった。あああ……

 最近自分の中で第二次ピアノブームです。第一次は大学の頃。本気でもう一度習いに行こうかさえと思っていたけど、最後の理性で思いとどまって良かったです。身のほど知らずもいいところです。だいたい小学生のときにチェルニー100番レベルで挫折した私は、演奏に関する知識もほとんど素人レベルなんですが、どうも曲の好みは大袈裟かつド派手かつ体育会系らしい。ロシアものなんて堪えられません。しかも好きなピアニストもそれに見合った筋肉バカ系というか、爆演系のようです。(ようです、というのは、マニアな友人が私のCDラインナップを見た感想だからです。私自身は、それほど古今東西のピアニストを聞き倒したわけではないのでよくは知らないのですが) というわけで、今日手に入れたホロヴィッツの40年、41年録音のブラームスの協奏曲2番とチャイコフスキーの1番は凄いです。オケはトスカニーニ指揮のNBC響。NAXOS盤です。特にチャイコフスキーの3楽章。オケ置いてきぼりで飛ばす飛ばす。さすがのトスカニーニも爆走をいかんともできなかった模様。えらい乱暴な弾き方だなーこんな体力勝負でいいんかいと思いつつ、これが病み付きになるから彼は悪魔のような男です。

 えらいだらだら長く書いてしまいましたが、これでガス抜き十分。明日からまた戦闘態勢です。あと一ヶ月、保つかな。






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