2003年7月の不定期日記 
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不定期日記



■ 2003.7.30    哲学と哲学ゴロとシューマン

 あと、宴会。アカデミズムとそれにたかるスノッブたち。なんとなく、奥泉光ワールドのイメージってこんなのです。『葦と百合』(集英社文庫)読書中。
 哲学ゴロなんて実際に身近にいたらもの凄く鬱陶しそうな気がするけど、奥泉ワールドなら一応存在を許しつつ読める。いいんだ、シューマン好きだから。それだけで。それにしても、百合って花は、どうしてあんなにセクシャルなイメージがあるんでしょうか。花言葉が「純潔」だなんて。そこからしていかがわしい。

 なんだか文章が断片化しているような気がするのは、薬で眠いから。長い文節でものが考えられません。私は普段ほとんど薬を飲まない分、いざ飲むと覿面に効きが良いです。しかもバファリン1日3回。本気で治したいときは、正しく薬漬けです。でも頭痛持ちの先輩によれば、ナロンエースのほうが効くとか。本当? 子どものときから強固に植え付けられたプラシーボ効果がぐらつくではありませぬか。


■ 2003.7.27    夏風邪

 をひきました。
 それなのに、明日はお客さんと100%仕事モードの飲み会です。つ、つらい……

 備忘録。
 『ハムレット』(シェークスピア/福田恒存・訳 新潮文庫)> 面白かった! 福田さんの解題が目から鱗が落ちるよう。
 『ごくせん』(森本梢子 集英社)> 腹がよじれるほど笑いました。グウッ!(親指立てて)
 『大日本天狗党絵詞1〜4』(黒田硫黄 講談社)> 頭がぼうっとしていて展開について行けてません。今の頭では、なんだかスゴイことに…というぼんやりした感想しか。でも絵は凄い。台詞のひとつひとつも凄い。


■ 2003.7.21    選曲

 次の演奏会の選曲が始まっていて、恒例のやりたい曲投票があったのですが、選曲のたびに思うこと。まあ、私は実際のところ、目下弱小派閥の低音系で、従って低音がごりごり鳴る曲が好きです。そういう意味では重低音が鳴る曲なら、ドイツでもロシアでも好きですね。苦手なのは古典。……って、ファゴット吹きにあるまじき発言か…(汗)


■ 2003.7.20    入れ込んでいた

 インディーズバンドがメジャーデビューした途端、熱が冷めるのと似た按配で、つい『GOTH』には手を出しかねているんですが、それでも追っ掛けてしまうのがファン心理。乙一の『平面いぬ。』(集英社文庫)読了。

 えーっと、タイトルに「。」つけるのは、モー娘の顰みですかね。
 私が好きなのは『石ノ目』などの路線なんですが、『平面いぬ。』のように、もう一段あるものだと思ってた階段の最後の一段を踏み外すようなオチは健在。

 そういえば、今日はもう一つ私的インディーズを見つけたんでした。奥泉光の『石の来歴』(文春文庫)。と思ったら、この人、この作品で芥川賞取ってたんだ。知らなかったぜ。いつも通る駅前広場に何気に上手い路上バンドがいるなあと思って贔屓にしていたら、実はメジャーデビューしていてCDまで出てたってくらい驚きです。<何だってこんなに具体的なんだか。


■ 2003.7.19    北京・PARIS・NEW YORK

 『北京ヴァイオリン』を観てきました。良かった! 

 主演の男の子の表情のしんとした重みとか、窓から差し込む光とか、無造作に日常の雑音のなかに流れる音楽とか、すべてが静かに雄弁に語る映画でした。とにかく、お父さん役の役者さんと主役の男の子の、言葉にならないけれども伝わってくるあたたかさがとても心地よかった。いいなあ。音楽って、好きな人に聞いて喜んでもらいたいっていう、素朴なところからはじまるんですよね。華やかな舞台ばかり見ていると忘れがちですが。

 ヴァイオリンという楽器は、構え方からして人間には不自然な格好だし、指板は狭くて1ミリずれてもとんでもなく調子っ外れになるようなところで弦を縦横無尽に押さえなきゃいけないという大変な楽器で、これを自分の身体の一部のように扱えないと弾きこなせないというのだから、やはり特殊な楽器だと思います。弾く機会を与えられる人も、機会があっても上手く弾けるようになる人も限られる、一種特権的な楽器で、それだからこそ魔物のような魅力を持つ楽器だと思います。そういう魔性に憧れるときも多いけれど、それだけが音楽じゃないよね。まあそうでもなきゃ、アマチュアで音楽なんてやってられないって話ですが。

 そう言えば、昔ケーブルテレビで見た映画『シャコンヌ』を思い出しました。これもヴァイオリンの映画。こっちはヴァイオリニストがどんどん落ちぶれていく話だったような記憶がありますが。パリのメトロに響くバッハの無伴奏。北京では、喧騒の北京駅に響き渡るチャイコフスキーのコンチェルト。つくづくヴァイオリンてのは、独奏映えする楽器です。それだけ完全な楽器なんでしょう。自分がやっている楽器が筋金入りの伴奏楽器なもので、羨ましく思うときもあるけれども、でも気質的に、やっぱ独奏楽器は向かないな。弦楽器は永遠の憧れですが、やるならヴィオラかベースです。チェロはちょっと考えてやめました。音域的には今のファゴットとほぼ同じでとても安らげるんですが、ちょっと自己主張が強すぎの感が。あと、ヨーヨー・マなんていう、私の大好きな天才がいるのがいけません。大好きなだけに、ついつい引き比べて落ち込むじゃないですか。

* * * * * *

 ルー・リードの自選アルバム『NYC MAN』を買いました。
 実を言うとルー・リードはさっぱり知りません。デヴィット・ボウイやアンディ・ウオーホルのファクトリーに繋がりのある人というくらいしかわかりません。それなのに、なんで買ってしまったんだろうか。別にジャケ買いするほどのジャケットでもなかったのに。でも結果的にはわりと好きな曲が多くて当たりでした。ロックはちょっとは聴きますが、さっぱり詳しくありません。グラム・ロックとか、オルタナとか、言葉は聞いて知ってますが、どういう分類なのかさっぱりです。ついでにいうと、パンクとへヴィメタルの正確な違いもよくわからん。そういう状態なので、せっかく日本語のライナーノーツがついているのに、「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」とか「アリスタ」とか、当然のように書かれている用語からしてわかりません。どうも私は気に入った曲から入って、CDなどの音源を手に入れていつでも聴けるようになった後は、アーティストのほうに興味が行かないみたいです。

 ルー・リードの声はわりと好きな声質の部類に入ります。低めの、少ししわがれた東部訛り。音程が不安定で、上手いのかそうでないのかよくわかりません。そこがいいんだとも思いますが。あの歌うときの独特の震えというか、音の揺れがなかったら、平板でちっとも良くないというような曲ばかりです。モノローグっぽいのも多くて、間違っても鼻歌で歌えない種類の曲ばかり。

 ちなみに、聴いてみて好きだったのはこんなの。2枚もあるし、あとで聴き返すときに探すものヤなのでメモって置こう。
 WHO AM I?/SWEET JANE/BERLIN/CAROLINE SAYS 2/THE KIDS/WALK ON THE WILD SIDE/I'LL BE YOUR MIRROR/ECSTASY/TEMPORARY THING/PERFECT DAY/SALLY CAN'T DANCE/NYC MAN/DIRTY BLVD./PALE BLUE EYES

 表題にもなっている『NYC MAN』は New York City Man てことで、ルー・リード自身がライナーでも「これがニューヨークの音だ」と言っている。そう言われると、こういう感じなもかもとも思う。シンプルな4ピース、スムーズなギターの音と、抑制の効いた低音、しゃきっと涼しげなドラムに洗練されたホーンセクション。NYといえば、STINGにも『ENGLISH MAN IN NEW YORK』てのがあって、それもとても好きな曲なんですが、音の感じはあまり似てないけれども、方向性は似ていると思う。つまり、タイトな洗練性。個人的には、決定的な違いは、声と言葉です。ルー・リードのどうにもアメリカっぽいちょっとざらついた声質の東部訛りと、ギターの生音っていうのは、いかにもらしい感じがします。三代続いた江戸っ子って感じです。ちょっとエキゾチックなソプラノサックスとイギリス訛りのSTINGは、やっぱり曲中に歌っているとおり異邦人なんですね。さしずめ夏目漱石と森鴎外みたいなもんか。いや、かなり違うか……


■ 2003.7.17    今って

 七月だよね…………?

 暑中見舞いなんて単語が思いつかないくらい寒いのはどうしたことでありましょう。
 六月ごろ夏バテしていた私はなんだったんだ。
 まあでも首都圏挙げての節電キャンペーンなところに酷暑でなくて幸いとも言えましょうが。

 最近、電話とEXCELとWORDとPOWER POINTしか使っていない私はSE廃業です。いえ、SEのEはエンジニアのEではなく、営業のEだと悟りました。4年もこの世界にいて悟りが遅い気もしますが。そんな状態で、とても久し振りにリリース立会いのためにサーバの前に座ったものの、ログインパスワードが思い出せなくて焦りました。ああ涼しかった。いや、これ以上涼しくなってどうする。


■ 2003.7.12    山から山へ

 飛ばされているような気がしてならないんですが……。谷がないよ、谷が。
 やっとこさ年度切り替えのどさくさと付随するもろもろの尻拭いが一段落したと思ったら、また尻に火のついている案件がひっかぶってきた。私が抱えている仕事と同根といえばそうなんですが、かけもちしろっちゅうんかいゴルァ。

 おっと、ついお下品な口を。

 ところで、情報ってつくづく権力なのだなあと思います。それこそ、トップシークレットという言葉が、まさに権力性を現してますが、人が知らないことを自分が知っている、ということは権力を持つとともに、ステイタス意識を伴うんですね。身近なところでは、ご近所の情報屋みたいになっているおばさまとか、ノウハウを教えたがらない上司とか、報告上げない部下とか。情報を抱え込むことによる優越感がそこにあるんだろうなあと思います。実際、自分の職場の範囲で情報を抱え込んじゃっている人が休んだりすると、一気に混乱をきたすわけですが、そうなるとますます「××さんがいないと大変だ」となるわけです。だけどそれって、自分で自分の首締めてないかなあ。私は小心者なので、自分しか設定を知らないあのサーバとか、自分しか中を見たことがないあのスパゲッティプログラムとかが、気紛れにぶっ壊れたりしちゃったらどうしようと、びくびくしながら会社の携帯持たされて休むより、誰でも穴をカバーできる体制でこころおきなく休暇中、行方不明になるほうが遥かに気持ちいいんですが。というわけで、まだ少し自分に残っている暗黒部分を誰かに伝授したくてしたくてたまらないんですが、皆嫌がるのは何故。私が関わった部分って、そんなにヤなとこなの? 確かに私も先輩から何の疑いもなく引き継いで、中をみた瞬間後悔したもんですが。どゆこと先輩。純真な私をハメたの先輩。

 そんなこんなで、『梟の城』面白かった! とか、『21世紀本格』面白くねえッ! とか、阪神今年はどうした!(嬉) とか、いろいろ言いたいことはあるんですが、今日は時間切れです。(電池も。)

■ 2003.7.6    くーぱー欲しいかも

 『ミニミニ大作戦』を観てきました。大変愉快。ボートチェイスありーのカーチェイスありーの、それでいて見事な映像の、無駄なく引き締まったピカレスク1.5時間。69年のオリジナル版はかすかーな記憶しかないんですが、そっちも観てみたいなあ。どこかで記念リバイバル上映しないかしら。
 しかし、やはり惜しむらくは一番のウリになるはずの邦題です。69年に一度定着しちゃったものだから仕方ないんだろうけど、モトネタを知らないと、なんかモー娘大作戦とかと一緒にされそうじゃありません?(私自身、友人に薦められなかったら題名だけでそれ系かと思ってスルーしてましたよ……)ちなみに原題は"THE ITALIAN JOB"だそうです。うーん、悩んだんだろうけどね。

 ところでヨーロッパ系泥棒さんは雪山に逃げるのが伝統なんでしょうか。『TAXi』といい、コレといい。


■ 2003.7.3    節電

 東電のサイトに節電対策のページがあるのって、よく考えたらヘンですよねえ。まあ点検はきっちりやってもらいたいですが。

 しかし、こんなに手の平を返したように節電節電言うなら、大消費地の東京都なんかは夏場の上着廃止ガイドラインでも発令したらどうでしょうね。相変わらずの、各社電車内の寒さったら。リーマン諸君の夏場のスーツは、間違いなくヒートアイランド現象の一因でしょうね。見た目からして。
 今年の我が職場は、全館空調設定温度を上げたらしい+夕方になると空調が切れる、ということで、冷房負けする私には快適そのものです。しかも、夏休みは社員の義務として必ず取るべしとの、TOPからのお達し。毎年節電してくれてもいいな。ついでにフロアの蛍光灯を抜いていたのは、経費節減なのか何なのかわかりませんが。

 斎藤美奈子の『踊る読者』(文春文庫)を読みました。大笑いしながら、一気読み。冒頭に、「踊る読者」度チェック項目があって、10項目以上当てはまるのは 「かなり重度の『踊る読者』。本書と手を取り合って、いまの状態から一日も早く脱却できるよう頑張りましょう」 と言われてしまってるんですが、全20項目中、ちょっとでも当てはまるかなあ…という基準なら、全部に○がついたんですけど……。でも同じ阿呆なら踊らにゃソンソンと思う私はもうダメですか。

 それにしても、職業的読書人ってつくづくすごいなあと思います。どんなに「なんじゃこりゃ」と思う本でも、とりあえずは読み通して、扱き下ろすにしてもそれなりに読ませる文章書かなきゃならないわけです。テクのない毒舌や罵詈雑言は不愉快なだけですもんね。それが書ける人ってな前評判で斎藤さんは前から気になっていて、今回初めて読んで、まあ面白かったんですが、私の好みとしては文章がちょっと口語体寄り過ぎです。軽く書こう、書こうとしているのを感じるというか。個人的な好みとしては、重めなほうが好きなのでね。というより、紙媒体で、あまり口語体を読みたくないというか。そういう私のこの文章もかなり口語体寄りだなあ。WEB上の文章特有の、書き言葉なのか話し言葉なのかっていう文体(自分も使っちゃってますが)について思うことはあるんですが、まあ実際口語体はWEBじゃさほど気にならないところが不思議なところ。「だである」調のバリバリ重量級文体も書けるんだけど、そうすることに照れがあるのかなあ……という気配を斎藤さんの文章からは感じます。






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