2006年12月の不定期日記 戻る 
不定期日記


■ 2006.12.31   本年の総括

 オーバーフロー。

 悲しいかなこれに尽きる。今年の後半は体調にも悩まされました。ひょっとして厄年だったのか。女の厄年っていつだったか? 全くの不信心者な上、良い結果だけを信じるご都合主義なので、御神籤で凶を引き当てようが占いの結果が悪かろうと深刻になることはないんですが、厄年関係だけは年齢的に体質が変わりやすい節目として結構信憑性があるんではと思っている。

 12月からこっちドミノ倒しのようにいろんな皺寄せが来て本当に何もできなかった。例年ほとんど書かない年賀状は勿論(だから友達をなくすのだ)、忘年会らしい忘年会もほとんど出ていない。ToDoリストのリストアップさえしていないので、何をやらなきゃいけなくて何をやりそこなったのか混沌としている。職場、家ともに大掃除も全くしていない。帰省から帰ってきて洗ってない皿が溢れているのはさすがにげんなりするよな、と思って、ようよう台所に溜まっていた洗い物を片付けたという体たらく。年末の食糧備蓄減らしもできなかったから、年初には残念だけど駄目になったものをかなり捨てる羽目になることが今から予想できている。そして、この日記を書いた10分後には家を出ないと新幹線に乗り遅れるというギリギリさ加減。

 まーそれでも時は過ぎる。なにも年末に全部片付けなくてもいいんじゃん。年の下一桁が増えるだけのことで、ガタガタすることもないやなー。……とまあ、こういういい加減なところが我ながら救いではないかと勝手に自己正当化。

 今年一年、関わりを持ってくださった皆様、どうもありがとうございました。また来年もお見捨てなく。


■ 2006.12.27   峠

 はどうやら越したものの、溜めすぎてもはや何がなんだかわからない。

 『パロマー』 イタロ・カルヴィーノ/和田忠彦 訳(岩波文庫)(12/27) 
 えらく長いことちびちびと読み続けていた。通勤用の鞄の中に放り込んであったものの、薄い本なのでよく埋もれ、思い出したときに一章ずつくらい読むようなペースだったが、これは実のところ通勤電車の雑踏で読むにはあまり適していない本だったと思う。布団にでも入って寝酒代わりに読むのが一番良いような気がするけど、ここのところ帰ったらもう字を見る気力がなかったからな……。どこか懐かしく親密な、それでいて世界の終わりを見てしまったみたいな静謐な絶望感が漂っている。 という訳者・和田忠彦の解説の一節をそのまま捧げたいと思います。

 読売日響の第九演奏会(12/23) 
 池袋芸劇のマチネ。林正子さん目当てで行ったんだが、あの合唱は凄かった。何よりあの数。二百人近くは居ましたよ。最初はオケの後ろに場所が空いてるなあ、くらいにしか思ってなかったんだが、三楽章の後に入場してきたらもう視覚的に凄まじい圧迫感。やっぱり第九は物量作戦じゃなきゃね。どれだけ上手くても少人数では何か物足りないような、「全員参加!」みたいなマス性がある。

 『悪の読書術』 福田和也(講談社現代新書)(12/23) 
 ファッションとしての読書案内。

 『それゆけ、ジーヴス』 P.G.ウッドハウス/森村 たまき 訳(国書刊行会)(12/22) 
 若旦那の類友列伝。


■ 2006.12.18   年末狂騒曲

 だから年が押し迫るとどうして誰も彼もが自分の手元に滞留させておいた仕事を、まるで証券ディーラーがバカンス前に持ち高を減らすかのように、他人にぶん投げるんであろうか。どうせ今まで溜めといたんだから、正月くらい越したって大した違いはないよ。もう年明けにしようよ年明けに。……世の中こういう人ばかりだと……それはそれで困るか。

 『麦の穂をゆらす風』(12/9) 
 有楽町シネカノン。今まで溜めてしまったのは感想をどう書いていいかわからなかったからなんだけど、このまま時間が経ってもまとまることは私の場合有り得ないので。とても重いけど、しかしとても良い映画です。市民軍、それも生活共同体を基盤にしたゲリラ戦というのがどういうものかよくわかる。唐突だけど、農民出身の豊臣秀吉があれだけ徹底的に刀狩をやった理由がわかる。為政者にとってはこの上ない恐怖だろう。勿論、ゲリラの悲惨さはそれ以上だ。どんな大義名分があって、当の本人たちがどれほどその活動を誇りに思い、使命感を持って遂行していたとしても。

 『悪女の美食術』 福田和也(講談社)(12/17) 
 福田和也の少々自己演出過剰じゃないかとさえ思われるスノッブぶりを平民の立場から「ほうほう凄いね、信じられないくらいバブリーだね、しかも恐ろしく身体に悪そうだね」と楽しめるのはいいんだけど、どうもこの文体、というより語り口の雰囲気、どこかで知っている、と思ったら、これFRaUの連載のリライトだそうですね。それでわかったよ。これは斎藤薫だ。斎藤薫の気ぐるみを着た福田和也のフランスかぶれセレブぶりっこを楽しむ本です。文章が上手いから、それでも結構面白いんだけどね。でもどう考えたってとんかつが大好物の人が、パリで三日間、昼夜ぶっ続けで三ツ星レストラン巡りって、最後まで楽しいかな。途中でキャベツの千切りととんかつソースが欲しくなったりしないの?


■ 2006.12.14   ソ連への道

 最近自分でもびっくりするほど食う量が減ってきていて、慣れない事態にまだ操縦感覚が掴めていません。おそらく最盛期の三分の一くらいになっているんじゃないかと思うけど、むしろそれは以前が食いすぎだったかもしれない。それはともかく、一番困っているのが外食だ。サラリーマン向けでなくても、普通の定食では量が多すぎる。物心ついた頃から叩き込まれた「お残し厳禁」と生来の貧乏性が災いして、つい出されたものは全部食べてしまうところがさらに悪く、そうすると夜になってもお腹が空かないくらいならましで、下手をすると覿面にもたれる。嗜好も完全に和食に傾いてしまったから、職場近くではもう行ける店の選択肢がさっぱり残っていません。

 しかしだ。この事態をポジティブに捉えるならば、これはまさに今まで憧れつつも、自分の中の食欲魔人に負けて手を出せなかった蕎麦屋探訪というフロンティアに進出する絶好の機会じゃなかろうか。何せ蕎麦って腹持ちが悪いから、これまでは微妙に物足りなくて敬遠気味だったのだ。

 というわけで、今日のお昼に早速発見した蕎麦屋に入ってみた。ちゃんとした蕎麦屋に入ったのなんか数年ぶりな気がしますが、これが幸運なことに当たりだった。近くに座っていた人が食べていたのがおいしそうで口が勝手に野菜天蕎麦を頼んでしまい(天ぷらも店で食べたの数年ぶりだ…)、むしろいつものお昼の量よりは多いくらいだったのだが、これがしみじみ美味しかった。蕎麦は勿論、天ぷらもさくさくで本当に美味しい。正直言って、天ぷらを心から美味しいと思ったのは初めてかもしれない(基本的に油物苦手)。蕎麦を待っている間にメニューを眺めていると、日本酒の錚々たる銘柄がずらり、玉子焼きだとか鴨葱焼きだとか一品料理も充実していて、おまけに長テーブルの近くに座っていたおじさまが昼酒と洒落込んでいるものだから、平日の昼から魔が差して大変だった。杉浦日向子師匠が、蕎麦屋で昼酒は大人の楽しみであって青二才はおとといおいでという主旨のことを言っていたのが、ようやく心底納得できました。それ相応の味の嗜好と容量でないと、確かにこの世界は楽しめないに違いない。とりあえず、今日発見した店のメニューを制覇するとこからはじめますかね。


■ 2006.12.10   我儘

 健康オタクするのはやぶさかではないが、だからといって不味いものを我慢して食べるのは嫌だ。というわけで、私的に却下なものは、最近流行りの飲む酢(それでなくても私の作る酢の物なんか家族でさえ飛び上がる酸っぱさだというのに、この上わざわざ酢を飲む気にはならない)、ハーブティー全般(これは前から駄目。雑草の出し汁とか言ったらフリークに怒られた)、中国花茶(特に菊茶系は駄目。メイクイ花茶くらい味がわからないやつは許容)、ヤーコン(味も食感も中途半端すぎる)、カロリー調整食品全般(前はカロリーメイトとか好んで食べていたが、ある日突然不味さに耐えられなくなった)。要するに手軽に手に入って簡単に始められるようなのは全部駄目なんですな。既製品に頼らず普段の食生活を改善するしかないのか。一番手間がかかるではないかー。ちなみに酒をやめろというご意見も却下です。(やる気あるのか)


■ 2006.12.9   練習納め

 今年最後の練習に行ってきた。やはりベルリオーズの幻想はどうにもモチベーションが上がらない。譜面が極端に難しいとか扱き使われて疲れるとかいうわけではないのに、何だか妙にテンションが上がらない。シャブリエのエスパナのほうが楽しかったな。

 そういえばモーツァルトのレクイエムを聴きに行ってきたんだった。(11/30)
 チョン・ミュンフン指揮、東京フィルハーモニー交響楽団。オペラシティコンサートホール。あやうくなかったことにしそうになったのは、これ、とてもビミョーだったからだ。まず最初のファゴットと弦のハマりが悪いなーと思った時点で胸騒ぎがして、ソプラノソロが入ったところで決定打。満足度が落ちた一番の原因は、ソロ歌手の声質がどれも私好みじゃなかったところ。特にソプラノ。ここはボーイソプラノのように歌ってほしいところなんですが、今回の歌手はカルメンを歌うのにぴったりな声質の人で、ぶっちゃけドスが効きすぎている。その声質でビブラートもびんびんかけるもんだから、ピアノ線でも弦で擦っているような印象だった。そしてオケもソロ歌手も合唱も、私の好みからすれば、全体に筋肉質すぎた。合唱の出来などはとても良かったのではないかと思いますが、とにかく私の好みには合わない演奏だった。

 同行してくれた人も同様に「ビミョー」という感想で、翌日二人して耳直しに他のモツレクの公演を探しまくってしまったけど、今更ながらに思い出したのは、今年はモーツァルト・イヤーだったってことだ。頼みの綱のバッハ・コレギウム・ジャパンが埼玉・佐倉公演まで完売というんだからお手上げです。ああ、なんか欲求不満。


■ 2006.12.5   堆積

 していた日記をやっと片付けた。

 そういえばこの間、自分の楽器のことを中間管理職と言ったら、「誰が上司で誰が部下なの?」と訊かれた。そう来たか。(自分で言っておいて) むしろこの場合、貴族と平民と言うほうが正しいです。当事者の非難を恐れず言わせていただけば、オーケストラのヒエラルキーにおいては、管楽器が貴族で、弦楽器(コンサートマスターを除く)が平民です。管楽器の中でも特に高音楽器族。中低音はもうちょっと泥臭い。しかし実際の奏者自身のバックグラウンドとなると、この全く逆だというのが面白いところですね。(当然のことながら、弦楽器の方々に圧倒的にセレブが多いです。)


■ 2006.12.4   抜け殻

 いろいろありましたが本番終わりました。来てくださった方差し入れくださった方どうもありがとうございました。今回は技術面以外の心配ばかりという私としては初めての事態だったのですが、不思議なことに前日まであれだけこじれていた咽喉がリハ終わったくらいからほぼ完治。口内炎の痛みもかなり引いて演奏にはほぼ障らない状態まで回復。とは言え、ベト7二楽章までは「体力温存体力温存」と呪文のように唱えていたんですが、前半が終わった段階でどこかでプチっと音がして、後は完全にランナーズ・ハイ状態。「ホルン引っ込めー! 低音域の音量ならこっちの勝ちじゃー」という状態で吹いてました。品のない演奏ですんません。しかし、これってやっぱりアレですか。拒絶反応。どうやらベートーベンは身体が嫌っているらしい(笑)

 さーあとはゆるゆる口内炎とヘルペスを治すかね。アルコール消毒で。






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