2007年1月〜3月の不定期日記 戻る 
不定期日記


■ 2007.3.5   日記退避

 日記はメモ等は当面こちらに退避、一本化することにしました。ここの更新はしばらくできそうにないので。


■ 2007.2.27   浮上

 どうも沈没気味で。

 『わたしの名は紅』 オルハン・パムク/和久井路子 訳(藤原書店)
 細密画そのもののような小説です。ありとあらゆる登場人物(まさに人も物も)が自ら語る形式で進行する小説は、細部が好き勝手に饒舌に主張していながらも、全体としてひとつの物語を形作る。こういう造型の仕方は確かに文字書きというより絵描きの感性のような気がします(作者のパムクは画家になりたかったそうな)。それにしても語り手たちは時に自分の正当性を主張し、時に不都合な事実を隠匿しながら、それぞれに自分に都合よく語り続けるのだが、それでも個々におぼろげに浮かび上がり透けてみえるものが個人とか個性とかいうやつじゃないだろうか。当然好きなキャラクタもいれば辟易するのもいる。ちなみに私はエステルが一番好きだったけど、ヒロインとも言えるシェキュレの陰険で偽善的なしたたかさには辟易した。そのシェキュレに物語を締め括らせて、「ここに書いてあることは所詮楽しませるためのお話でうそばっかりなんだから」なぞと言わせるあたり、作者も相当なもんである。

 二期会公演『ダフネ』、東京文化会館。(2/10)
 ダンスが凄まじかった。知らなかったのですが、白河直子さんて海外でも絶賛されているコンテンポラリーダンサーなんだそうな。ダンスパフォーマンスが凄すぎてオペラだったのに歌も音楽もさして印象に残ってない……。


■ 2007.2.17   新人類

 当日の三日前になって大事な話し合いをしたいからと言って年度末繁忙期のこちらの予定を空けさせ、金曜夜に個室でないと嫌だという条件で店を手配させ、前日になって一人人数を増やされ、増えた人物は当初の話し合いには無関係なので今回は単なる食事にしたいと言い出し、当日は一時間以上遅刻して謝罪の一言もない上、当初メンバーのうちの一人がドタキャンするという人々とは、一体どういうふうに付き合っていけばいいんだろうか。むしろ旧人類に分類される人々なんですがね…。


■ 2007.2.14   牛歩というよりむしろ

 なめくじの歩みの如く、交渉は紆余曲折しながらも何とか進展して、ようやく査察受け入れの合意にまで到達。というわけで、査察団(約一名)の赴任が決定しました。要するに引越しです。うへー面倒くせー。もう言いたいことは夢の島のゴミ山くらい堆積しているし、なけなしの人生設計も綺麗にご破算なわけだが、どうにか着地点に漕ぎ着けただけで良しとする。限りなく満身創痍の不時着って感じではあるが。

 『嫉妬の世界史』 山内昌之(新潮新書)(2/7)
 後書きに「編集者に読者にわかりやすく書けって言われたから、頑張ってわかりやすく書いてみたよ」みたいなことを書いちゃうあたり、大学の先生ってほんと無邪気だなー。

 『くもの巣の小道』 イタロ・カルヴィーノ/米川良夫 訳(ちくま文庫)(2/9)
 最後のほう、ピストルを取り戻したピンが泣きながら一人で彷徨い歩いてクジーノと再開するまでのところを読んでて、不覚にも涙が滲んできた。これが貰い泣きってやつか(違う)。どうやらちょっと不安定になっているらしい。カルヴィーノの小説には確かに、ささくれ立った神経を慰撫するような繊細な大らかさがあると思う。


■ 2007.2.6   ネタ&ガス欠

 このところのメイン話題といえば遅々として堂々巡りしているドメスティック日朝外交しかないのだが、これはどの角度から光を当てても私が書く限り100%ピュア罵詈雑言にしかならないので書くことがない。とりあえずホテル泊半徹夜で不毛な会議というパターンはそろそろ終わりにしたい。

 あ、そういえば失言の上塗りかましたどこぞのおぢさんがいましたっけね。あの世代のおぢさんたちの平均的な認識を無邪気にもさらけ出して同世代おぢさん代表でバッシングに遭う羽目になったのはお気の毒さまでした。バッシングしているおぢさんたちはあえてさらけ出さない世知があったというだけで、根本的な認識はさして変わらないと思われ。こういうのは本人の認識だけじゃなくて、その世代全体が育った時代の風潮とか教育とかで無意識レベルに染み付いている価値観だからねえ。それに、女のほうだって類似の価値観に捕らわれてるんじゃないのか。「子供を産んだら子供のことを第一に考えたい」とかいう一見もっともらしい意見は、おぢさんたちの認識の裏返しな気がする。「子供を産んでもいいけど、産んだ後も自分の生き方を優先したい」とか言った場合、「子供がかわいそう」とか言われて、むしろ同性からバッシングされるような気がする。(ちなみに私は「子供がそんなに好きではない」とうっかり漏らすと、大体において男よりもむしろ女から異物を見るような目で見られますな) 刷り込まれた価値観というのは意外と強固なのだ。「男だって子供が欲しいのに、女だけずるい」とか「女だけ育休とれるのはずるい、もっと男にも取らせろ」とか言い出す男が出てくるようになれば、この手の問題も新境地に至る気がしますがね。


■ 2007.1.31   何しにきたんだ

 ドメスティック日朝外交が再開……というか緊急支援の必要性に迫られ、緊急家族会議に召還されました。といいつつ召集を掛けた本人は会合場所に麻布十番の高級ワインカーヴを希望。代議士やら企業幹部やらの皆さんが仕事にかこつけて高級飲食店で交際費を浪費するのはけしからんと指弾されるけど、どうせ誰もが機会さえあれば自分だってやってみたいと思っているのだ。麻布十番なんて帰りが大変だからと一蹴したものの、今度は「帰りが大変だろうからホテル泊にしよう」ときた。翌日仕事だからと手短かに話そうと言っておいても結局夜中3時まで拘束され、それもこっちが無理矢理切り上げた。話は堂々巡りで大半は相手の話を延々聞かされ、結局何も決まらない。こういう人々と死ぬまで縁が切れないと思うと、たまにこっちが鬱入りそうになる。

 『文学全集を立ち上げる』 丸谷才一・鹿島茂・三浦雅士(文藝春秋)(1/30)

 『変わる家族 変わる食卓』 岩村暢子(勁草書房)(1/29)


■ 2007.1.28   社員旅行

 なるものに行ってきました。前の職場にはこういう行事はなかったので、本当に初めてであります。箱根湯本一泊二日。絵に描いたような温泉旅行。参加者の顔ぶれと幹事さんの手配が良かったおかげでなかなか楽しめました。鈴廣で地ビールを堪能し、箱根湯本のお土産屋さんで温泉饅頭と揚げ蒲鉾の試食食べ歩きでお腹いっぱい。お土産は『菜の花』の箱根のお月さま(黒糖饅頭)とあづき月福(水羊羹)、たたみ鰯、おぼろ昆布、寄木の独楽。うちで焼き魚ができれば是非とも干物を買って帰りたかったところですが残念。

 『<現代家族>の誕生 幻想系家族論の死』 岩村暢子(勁草書房)
 著者にそういう意図はないんでしょうが、奇しくも前に読んだ小倉千加子さんの『結婚の条件』に書かれた状況を、主に家庭の食事という別の切り口から裏付けるような分析として読めます。調査対象が現代の母親の母親、つまり祖母の世代(60代〜70代)の主婦四十人と少ないところが気になりますが、彼女たちへの詳細な個別インタビューからは、最近よく言われる「食の崩壊」も小倉さんが指摘する「専業主婦志向」も、出現すべくして出現した現象だとわかる。我が家は相当に過保護だと思っていたけど、これを読むとそれは間違った認識だったとわかりました。過保護というより過干渉というべきだな。逆説的ですけど、子供の自立を促したければ、口うるさくして鬱陶しがられるっていうのも一つの手なんでしょうね。それと現代の亭主の一部には人権がほとんどないらしいということもわかりました。そうなった経緯を考えると全面的な同情はできないところですが、完全なる自業自得とも言えないのでお気の毒なことです。


■ 2007.1.25   若気の至り追体験

 『四畳半神話体系』 森見登美彦(太田出版)(1/24)
 なんというか、とても可愛らしい小説だった。いやもう大学生ってこんなに可愛いもんだったか。自分が大学生だった頃はもっと底意地悪くひねていたと思うんだが、それは人間性の違いだろうか。文字通り四畳半のタコ壺世界で繰り広げられる愚行の数々になごんでいる間にかつての自らのイタさ加減もが走馬灯のように甦ってきて転げまわりたくなる特典付きで二度おいしい。久々にツボにはまる作家に遭遇して嬉しい。

 しかし四畳半っていい広さだよね。寝起きする部屋にはそれくらいの広さが一番落ち着く。お城だとか広壮な豪邸だとかに住みたがる人の気持ちがさっぱりわからないタコ壷気質の私であります。


■ 2007.1.20   遅々

 としてはけない積読本。

 『悪魔と博覧会』 エリック・ラーソン/野中邦子 訳(文藝春秋)
 シカゴ博覧会のプロジェクトXと猟奇的シリアルキラーの足取りを平行して描くノンフィクション。シカゴ博覧会はまさに後のディズニーランドをはじめとするテーマパークの嚆矢。殺人者H.H.ホームズの殺人の館はエドガー・アラン・ポーの世界と後のナチスの強制収容所を思わせ、その後に子供を連れ回して一人また一人と殺しながら逃亡生活を送り、逮捕されてから裁判中に虚実入り混じった回想録を書くという行動は、どこか『ロリータ』のハンバート・ハンバートを思わせる。

 『結婚の条件』 小倉千加子(朝日文庫)(1/19)
 書店の平積みで見かけてタイトルからの先入観で全く期待せずにぱらぱらとめくってみたらこれが無茶苦茶面白くて猛然と立ち読みを始め、しかし昼休みのタイムリミットがやってきたので買って帰りました。いやー、面白かったです。すごい納得した。自分にも思い当たるフシがビシバシ。そう、みんな「結婚できない」って言うけど、実のところ色々難癖つけて「結婚しない」だけなんだよね。そしてそういう人々にとって完全なる専業主婦(主夫もか)というのは人生すごろくの勝ち組なのだ。私も昔でこそ「結婚は人生の墓場入り」、「専業主婦は三日やったら飽きる(むしろ家事嫌いで三日も続かない)」と思っていたもんですが、働き出してからはだんだんと「いや、三食昼寝付き、いいじゃないの」と日和りはじめました。ただ問題はそんな玉の輿はそうそう転がってないってところで、大体自分が男の立場だったらそれってかなりむかつく言い草なんじゃないかと思うし、小倉先生にも「JJ」が好きでもないのに「女として勝負する」と言う資格はない。とか喝破されるし、そんな宝籤当てるような幸運を待つくらいなら自分で稼いだほうが早いんじゃないかと……むしろ嫁を貰ったほうが良いですか私。昼寝は無理かもしれませんけど、三食くらいはつけますんで、誰か来ませんか。

 不勉強で知りませんでしたが、小倉千加子さんはフェミニストなんですね。本文には直接書いてませんけど、読んでて何となくわかりました。


■ 2007.1.15   枯渇

 数年前にところてんでやられた災禍再び。納豆が払底している。スーパーの豆腐練り物製品の棚でそこだけ抉られるようにキレイになくなっている様子は、昔は旧ソ連と言うと何かと流された空っぽの食料品店の店先の映像を思わず彷彿とさせます。オイルショック時のトイレットペーパー騒動のことを今は皆笑うけど、この現象を見ているとそんなの今だって「トイレットペーパーは身体にいいんです」とでもテレビで言われればすぐにでも起こり得るよね。

 納豆生産者はこの機会に価格を高騰させるべきである。そうすれば一定期間を過ぎれば瞬間風速的健康オタクはすぐに買うのを止める。ブームが去って値が落ち着いた頃に、普段からの継続的な購買者が、サバンナの動物大移動をやり過ごしていた草原のねずみがこわごわ巣穴から顔を出すように戻ってくるでしょう。さっさとブームを終わらせて既存顧客のニーズに応え、かつ一時的収益増を確保できるんだから、いいんじゃない?


■ 2007.1.14   実力試し

 にTOEICのテストを受けてきました。こういうのはほら、実力試しなんですから、事前勉強は邪道です(というのが勉強しないことを正当化する常套句)。しかし始まってみると実力以前の問題が。試験なんてウン年振りなので勘がすっかり衰えている以上に、集中力が保たない。リスニングが終わった段階でもうぐったりしていて、リーディングのほうは、教室寒いなートイレ行きたくなったらどうしようああーまだこんなにあるよ誰だ今の鼻水飛びそうなくしゃみ……などという雑念が消えず、最後数問で時間切れになる体たらく。集中力も実力のうちですな。45分しか保たないって、小学生並みか。

 『「世界」とはいやなものである』 関川夏央(集英社文庫)
 おっしゃることは概ね尤もなのだが、落ち込んでいるときに読むと全編に充満する厭世観が伝染りそうで要注意。


■ 2007.1.13   松の内明け

 新年会ラッシュが一段落してほっと一息。普段の不義理のせいで、どの顔ぶれもしばらく会っていない、こういう機会でもなければ会うことのない人々なのでどれもノリノリで出席即答し、かくして仕事の峠を越えつつ週に新年会三件などという強行スケジュールに。こういうことは大台を迎えた機会に止めることにしたんじゃなかったのか。今年の傾向としては、飲みは全く平気なのだが、食いで自滅する新たなパターンが。数年前に経験した、酒量が変わったときと全く一緒だ。食う量が変わっているのに、意識がそれについていってない。学習能力ないな……。

 郵便局のポストから年賀状受付のプレートが外されて、これまたほっとしている。年賀状は例年、自発的にはほとんど書かず(去年に至っては一枚も書かず)、来た年賀状には(なるべく)返すというパターンを就職以来継続した結果、友人知人を失い果てたわけですが、このような駄目人間に今年は何故だか年賀状をお送りくださる方が多かった。しかもこれまた今年の傾向として、三が日明けに、ぱらぱらと断続的に届く(皆さんお忙しいのだ。一枚も書かない奴とは天と地の違いである)。さすがに自分の所業を反省して、今年は来た年賀状にはちゃんと返事をお返ししたのだが、葉書を数枚買って書いて投函しては、また届き、また葉書を数枚買っては(以下リバース) えー、駄目人間としては少々疲労しました。このようなヘタレに皆様どうもありがとうございました。篤実な方々に幸あれ。


■ 2007.1.9   地方の味

 新宿のサザンテラスに宮崎県と広島県のアンテナショップがあるのは知っていたものの、これまで入ったことがなかったんだが、今日お昼御飯の後に散歩がてら行ってみた。いや、なかなか楽しい品揃えではないですか。宮崎には柚子胡椒、柚子ぽん各種が揃い、乾燥新豆の立派なのが、そこらのスーパーよりお得な値段で置いてある。広島は海産物の乾物が充実していて、オイスターソースや牡蠣醤油がずらり。値段もそこそこお手頃。しかも添加物フリーのものが多い。今まで行かなかったのが人生の損だったよ。柚子胡椒はここでいつでも補充できるから安心。オイスターソースも今のストックが切れたらここで買ってみよう。どちらもランチの定食もやっていて、これも今度試してみたい。

 とりあえず今日の収穫は、宮崎ショップで芋蒟蒻、おつまみいりこ、干し牛蒡。広島ショップで焼き海老パックとひっくりかりんとう(巨大かりんとう)。これだけで幸せ気分になれるなんて、庶民に生まれて良かった。しかし会社の昼休みに何ちゅう買い物だろうか。


■ 2007.1.6   地域格差?

 国立博物館のパスポートがそろそろ切れそうなので、今年も買おうかなと思ったら、なんと1000円も値上げしている。去年の1月に買ったときには3000円(こういうときに日記に書いていると便利だ)、いま東京国立博物館のサイトを見るとしれっと4000円と書いてある。おいおいと思って念のため京都、奈良、九州を確認してみたら、こちらはどこも3000円据え置きだった。去年の10月に入場料とともに改定されたらしい。この値段の違いは、東京のパスではどこの博物館でも6回特別展に入場できるけど、京都・奈良のパスでは東京・九州の特別展は2回まで(各館1回ずつか、どちらかで2回まで)、九州のパスは九州以外は2回までの制限があること。国立博物館ともあろう施設が、なんだかせこいなあ。4000円じゃ元が取れないからやめとこうか。

 それより気に障るのは、京都や奈良のサイトには料金改定に関する説明のページがあったのだが(九州も一応おざなりではあるが親元の独立行政法人の説明ページにリンクがあった)、東京には一切ないこと。そりゃそうだよな。京阪神で黙って値上げなんかかましたら、抗議電話が殺到だわな。しかし東京の人ってこんなんで唯々諾々と払うわけ? 平常展の入場料だってこれまで各館一律420円が600円と一番値上げが激しいのに(他は500円)。この改定内容といい東京国博の態度といい、明らかに首都圏の人間は従順で文句を言わず金払いのいい良いカモと看做されてますよ。

 っていうか、国立博物館に収入のノルマがあること自体がおかしいんだな。美しい国って何?


■ 2007.1.4   痒い

 実家に帰って乾燥肌をこじらせてきてしまった。顔はどちらかというと脂性なんだが、足や身体は乾燥するという厄介な体質で、例年冬はすねなど痒くなって非常に悩ましい。おそらく乾燥プラス衣類の刺激もあるんでしょうが、一旦痒くなるともうクリームも何も効かなくてどうしようもない。しかし今年は比較的調子が良くて快適だったのだが、今回帰省してみたら、実家は恐るべき乾燥地獄と化していた。歳のせいもあって父も母も以前に輪をかけた寒がりに成り果てており、家じゅうそこかしこに石油ストーブやらガスファンヒーターやら電気ヒーターやらが出力MAXで設置してあるのだ。このところ調子が良かったこともあって油断して強力なクリームを持って行かなかったのも災いし、一撃発症。あー今年は乗り切れると思っていたのに。

 元旦に観に行った『硫黄島からの手紙』(1/1)や、電車の中で読み終わってしまった阿部謹也の『近代化と世間』(1/2)の乾燥じゃなかった感想など書きたいのですが、こういう次第ですんでちょっとそれどころでないっていうか痒い。


■ 2007.1.3   初詣

 いつもは鎌倉の銭洗弁天に行くのだが、今年は趣向を変えて深大寺に行ってみた。本当は鹿島神宮に行ってみたかったのだが、特急を使っても片道三時間と判明して断念。実家帰るより遠いよ。一泊必要だ。関東近県って中部や関西の交通の便の良い土地よりもずっと遠いことを改めて痛感しましたよ。

 で、深大寺ですが、あんなに人出の多いところだとは思っていなかった。実のところ、前々から深大寺蕎麦を食べてみたかったというのもあったので行ってみたんだが、大きなお寺さんでした。が、人ごみで全貌は全く掴めず。お参りもそこそこに蕎麦屋を物色して(これまたどこもかしこも列が出来ている)、比較的すんなり入れたところでとろろ蕎麦をいただきました。蕎麦はコシがあって美味しかったけど、つゆが少々辛かった。関東の一般的な蕎麦つゆってあんなもんかしらん。その他、草餅やら蕎麦饅頭やら買い食いして結構満腹して帰ってきました。いかん、連日暴飲暴食しすぎで胃もたれが。

 お土産に参道沿いの焼き物屋さんで買った小型擂鉢。軽くてなかなか安定性が良くていい感じ。



■ 2007.1.2   帰還

 久しぶりに実家に帰ると、

・実家地方の地下鉄にまで女性専用車両ができていた。(ラッシュなんか全然ないだろうに)
・最寄り駅に出口が2つも新しく出来ていて迷った。(降りる駅を間違えたかと思った)
・駅から家に辿り着くまでの道筋の風景が変わり果てていて道を間違えた。(いよいよ若年性記憶障害かと嫌な汗かいた)

 家に辿り着く前からスリリング極まりない帰省であったことよ。勿論辿り着いた後も、父が用意している酒各種と、母が用意している大量のおせちと、二人のマシンガントークの弾幕とで、我が家への帰省はサバイバルなのである。生還祝着。






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