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『動物化するポストモダン オタクからみた日本社会』 東浩紀 (講談社現代新書)

 暴走列車にも垂れていたように東浩紀は何となく苦手だったんだけど、これは多少不満と疑問は残りつつも非常に面白く読みました。「オタクからみた〜」なんていう副題がついていて、内容もかなりオタク文化およびオタクに深く触れてその行動様式を分析しているんだけど(ちなみに著者も本書で分析の対象としているのが主に男性オタク文化で、女性のオタク文化との間には差異があると注ではっきりと述べていました)、まあ言いたいのは「ポストモダン」時代の消費行動が「動物化」し「データベース消費化」しているってことではないかと。オタクにその現象が先鋭的に現れていると言うことだろうと私は取りました。「データベース消費型」っていうのは切り口として非常にわかりやすいですね。背後にある巨大なシステムの全容を全く把握しないまま、検索エンジンの入力ボックスに興味のあるキーワード(例えばジャンルなり萌え要素なり)を入力して検索するように、自分の好きなものだけを広大な情報のデータベースから抽出して楽しむ、というのは現代の消費者の消費行動様式としてとても理解しやすい。私見を言わせてもらえば、いわば物語の「文脈」ではなく、「要素」と「設定」を消費する様式と言いますか。

 で、不満な点というのは、タイトルにも含まれて文中にもたびたび登場するキーワードである「ポストモダン」の概念がほとんど説明されないこと。「70年代以降の文化的世界」と大雑把に理解してもらえばいいと書かれているけど、では文中の「ポストモダン」を「70年代以降の文化的世界」に置き換えて読んでも、いまいちぴんと来ない。明らかに「70年代以降の文化的世界」に含まれる何らかの状態あるいは概念を指し示していると思われるんだけど、それがはっきりしないから非常にすっきりしない。タイトルに使うくらいなら「紙幅の都合上…」なんて言わずに説明してくださいよ。(ってのは不勉強者の居直り?) これが1点。

 さらに言えば、この「動物化」という状態は、そもそも自然に生み出されたものじゃないと思うんですがどうだろう。著者の言う「動物化」はコジェーヴの戦後アメリカの消費行動の解釈をベースにしていて、私コジェーヴは全く知らない(どころか初耳だぜ)ので本書に書いてある内容からのみ判断しますが、それによれば、「消費者の「ニーズ」をそのまま満たす商品に囲まれ、メディアの要求するままにモードが変わっていくアメリカの消費社会」では、人々は与えられた環境を否定することなく「動物的」な消費行動をする、と。で、ここにもはっきりと書かれているんですが、「モード」は「メディアの要求」で変わるわけです。「ニーズ」と括弧で括られているのは、おそらくその「ニーズ」が消費者の自然なニーズではないからです。ニーズ(欲望)は作り出すものである、というのはマーケティングをちょっとでも齧った人ならすぐにわかるはず。本書のテーマで言えば、確かに消費者はデータベースを使用して抽出したデータを消費するけれど、一方で必ずそこにはそのデータベースを設計した人がいるわけです。消費者の「動物化」という現象には消費者側の行動だけでなく、消費者をそう仕向ける側の存在が問題になるはずなんですが、本書はその点について全く触れていないと思う。これ、車輪の両輪だと思うんですがね。

 最後。第三章は蛇足だと思います。とくにコンピュータ関連の話は筆が滑ったとしか思えない。HTMLの構造とかインターネットの構造とかが「ポストモダンの世界像を反映している」っていうくだりなんか、本物のハッカー(例えばそれこそHTMLの開発者なんか)が読んだら(苦笑)って思うんじゃないですかね。明らかに逆でしょ。インターネットの構造とかGUIシステムが「ポストモダンの世界像」に影響を与えている、と言うべきですか。むしろインターネットやコンピュータの世界は動物化・データベース化する消費行動とは全く関係のない土壌および論理から発生し発展し、それが末端消費者まで行き渡ることで現代のデータベース化した消費が可能になっているんじゃないかと。

 いろいろ書いてしまいましたが、末尾の部分、「ハイカルチャーだサブカルチャーだ、学問だオタクだ、大人向けだ子供向けだ、芸術だエンターテイメントだという区別なしに、自由に分析し、自由に批評できる時代」を作りたいというのはいいですね。


(2005.11.29)

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