TOP >> 本にまつわるもろもろTOP 

『夏の夜の夢・あらし』 シェイクスピア/福田恒存 訳(新潮文庫)

 やっぱり私は今まで読んだシェイクスピアの中で(っつーても他はハムレットとマクベスとリチャード三世くらいですけど)『あらし』が一番好きみたいです。前に読んだ豊田実訳の岩波文庫版とあまりにもテイストが違うので、Project Gutenberg から原文を手に入れてちょこちょこ対照しながら読んでました。(面倒なので決して原文を通読はしていません……) 原文はとても簡潔な韻文なので二人ともかなり言葉を補って訳しているのは同じなんですが、どちらかと言うと豊田訳のほうが原文に忠実かなと思いました。文章として読むにはちょっと文語調の豊田訳のほうが格好いいんだけど、上演するんなら絶対に福田訳のほうが良さそう。福田さんは演じる立場から訳したのが歴然としています。

 きっとその道の研究などではミランダとかキャリバンとかのほうが登場人物としては重要視されているんだろうけど、私はエアリアルが一番好き。というより、プロスペローとエアリアルの関係がすごく好きだったりする。主従関係に萌えるタチでして。悪い魔女に松の木の中に閉じ込められていたエアリアルはプロスペローに助けられてその僕になるわけだけど、口では年季はまだ切れないのかとか自由になりたいと言うわりに、彼はプロスペローを愛しているように見える。そうそう、最初に読んだとき、エアリアルはナチュラルに女性かなーと思ったんですが、原文を見るとはっきりと"his"と言っているので男性でした。

 『あらし』の世界を人種差別とか植民地支配と結びつけた解釈があるようですが、私はこれにはちょっと頷けない。要するに孤島に流れ着いて、魔法使いとしてその島を治めるようになったプロスペローは植民地支配者で、キャリバンやエアリアル、その他妖精たちは原住民だという解釈。この手のテーゼには敏感なほうだし、意地悪くも読むほうだと思うんだけど、正直そんな解釈は思いもよらなかったです。

 確かにキャリバンはあからさまにプロスペローやその娘ミランダから(人間はこの二人だけだと作中の台詞にある)人間扱いされていない。もともと島を支配していた魔女の息子ということしかわからないキャリバンの容姿について、登場人物たちの台詞から読み取れる「醜い」という情報しか与えられない。でもさ、じゃ逆に私たちはいかな容姿や生まれによっても相手を差別しない公正な人物としてのプロスペローやミランダを見たいんだろうか。ミラノ公の地位を追い落とされたプロスペローは復讐の念に凝り固まっていて、ミランダは父と二人だけの島の中しか知らない世間知らずで、そういう彼らが復讐=島という狭い檻から解き放たれることに意味があるんであって、そこに現代の公民権意識なんかを持ち込むのは興ざめもいいところだと思う。第一、シェイクスピアの時代は明確に身分社会なんだから、プロスペローがキャリバンやエアリアルと対等だったら逆に気持ち悪い。むしろこういう社会通念上の設定があった上で、それを飛び越えて、プロスペローやミランダが解き放たれる過程に普遍的な感動があることにこそ価値があると思う。

 エアリアルに関して言えば、『夏の夜の夢』のパックと比較されてプロスペローに従順そのものの下僕のように解釈されていることが多いようで、豊田・福田のどちらの訳を読んでも文章上からは若干そういう印象を受けるのは確かです。でも原文を読むと、全然印象が違う。逆らいはしないながらも陽気で饒舌で、人間味に溢れた軽快さがあります。プロスペローとの会話にも重苦しい雰囲気はなくて、むしろ優しさが満ちている。復讐の念に取り憑かれたプロスペローの重い心をほぐすような優しさを感じます。上で書いたような植民地支配的解釈に立って、軍人のように無表情にプロスペローに従うような緊張感に満ちたエアリアルの解釈も面白いことは面白いけど、

ARIEL. Before you can say 'come' and 'go,'
And breathe twice, and cry 'so, so,'
Each one, tripping on his toe,
Will be here with mop and mow.
Do you love me, master? No?
PROSPERO. Dearly, my delicate Ariel.

 みたいな台詞の存在をどう考えるんだろうか。

 すでに書いてしまったけど、『あらし』のテーマは「解き放たれる(free)」ことだと思います。呪縛が解けること。プロスペローは彼を突き動かしていた復讐の念から解き放たれ、ミランダは島の外の世界を知り、エアリアルはプロスペローから解き放たれる。劇の全てを魔法で支配していたプロスペローが解き放たれることにより劇は終わり、観客に向かってエピローグを述べる役者としてのプロスペローは観客の拍手により舞台から解き放たれる。『あらし』を最後にシェイクスピアは隠棲する。

As you from crimes would pardon'd be,
天罰を免れたきは皆様とて御同様、されば
Let your indulgence set me free.
そのお心にてこの身に自由を。

 劇作家の最後の言葉として非常な含蓄に富んだ一節ではないですか。


(2005.5.24)

TOP >> 本にまつわるもろもろTOP