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よしなしごと07
■ 2002.10.26 『バナールな現象』 奥泉光

 この小説については、どう解釈していいのか、まだいまいちよくわかっていない。ポーの詩『大鴉』が全編に影を投げ落とす真面目なメタフィクションなのか、男性がオトーサンになる苦悩を描いたスラップスティックなのか、よくわからない。そもそもこんな両極端の解釈しか出てこないことが読み方として正しいのかもよくわからない。

 いとうせいこうの解説を読むと、どうも前者の解釈に近いようだ。文庫の解説ほど突っ込み甲斐のあるものはないと常々思っているけれど、この解説はとても面白い。ただ、いとうせいこうはメタフィクションでいう作者の露出=作者が語り手という図式はあり得ないという考えのようだけど。いとうせいこうといえば、この小説を読んだときの感触は、昔『ノーライフキング』を読んだときの後味と似ている。

 ポーの『大鴉』を訳すとき、最も苦しむところが、大鴉が答える、"Nevermore"の一言だろうと思う。私が知っている最もポピュラーな訳は「またとない」だが、これだと結構肯定的なニュアンスだけど、ここはどちらかというと否定的なニュアンスじゃないかと思うので、「もはやない」とか「二度とない」とか「もういい」とかそういったものを全て含んだ"Nevermore"なんだろうと思う。大鴉と「私」の問答は、西洋的二元論的な相克に見えるけれども、『バナールな現象』では「私」=「木苺」を飲む込もうとする影は「友人」を筆頭にうぞうぞと出現する。それぞれがそれぞれの物語に「木苺」を飲み込もうとする。
 全編通じて、特異な語り口だと思う。ストーリーは概ね「木苺」の視点で三人称で綴られる。時間の流れに沿って状況を叙述する文章を追っていくと、突然「友人」の台詞が乱入してきて、これまでの状況が「木苺」の口から、すでに起こった出来事として、どこか別の場所で語られていることに気づかされる。時系列と物語空間内の位置が揺さぶられる。果たしてそれは、本当にもともと「木苺」が友人相手に語っていた状況に読み手が気づかないような語り口だっただけなのか、それとも流れていた「木苺」の物語を「友人」が奪い取ったのか。すぐに気づかねばならなかったのは、外交の世界で「友人」という言葉が、必ずしも字義通りの内容を意味しないことだ。そもそも「友人」が「木苺」に呼びかける「あなた」という言葉。はからずも「木苺」が自ら語っているではないか。 「あなた」と自分を呼ぶ者は見知らぬ何者かであり、敵であるかもしれず、害意ある者と見做し警戒してかからなければならない。

 木苺の視点、友人/影の視点、支倉の視点、鴉の視点。ひとつの物語/歴史を支配する権力争いの死闘が、60節の間に繰り広げられる。60は、円環の数だ。60秒。60分。これは時計だ。針は一巡りして、冒頭に戻ってくる。

 ………という緻密な構成の小説だとも思うんですが、どうしてもオトーサン説も捨てられないなあ…
 いや、男性にとってオトーサンになるというのは、大変なことなんですね。女性の場合、自分が産むわけだから、否応なしに当事者意識は持つわけだけど、男性にはそれがないんですね、当たり前だけど。当事者意識なんか、そもそも生まれにくいというのに、世間的には当然持っているべきだとされているし、自分でも持っていなくちゃおかしいと思っていたりする。で、良心的な人ほど、その欠落に悩むわけだ。悩める男性諸君。きっと哲学と言われている種類の小理屈の九割は、こういうところから生まれるんだろうという気がしてならない。


2002.7.22 『バナールな現象』 奥泉光(集英社文庫)


■ 2002.9.29 『百鬼園随筆』 内田百

 死ぬまで旧かな遣いを堅守した百鬼園先生の文章を新かな遣いで読めるなんて、先生の生前にはありえないことだったろう。それこそ、「イヤダカラ、イヤナノデス」と言われて放り出されて、そのまま日没閉門だろう。
 だが、新潮社が、祟りを恐れぬ英断で、しかも文庫で出してくれたのだ。素通りできるわけがない。原文(つまり旧かな遣い版)をどこで読んだのか、もはやさっぱり記憶になく、内容についても旧かな遣いのせいもあってか、薄暗いけれどどこか軽くて乾いた文章の雰囲気を覚えているだけで、具体的なエピソードは何も覚えていなかった。読み返す、というより、読み直すという感じ。
 内田百閧ニいえば、くいしんぼうと借金。私の独断で、日本の作家の二大借金王は内田百閧ニ北杜夫なのだが、『百鬼園随筆』も期待に違わず借金話が満載で、どれもこれも愉しい。が、私がこの本のなかで一番好きなのは、『明石の漱石先生』という一文。
 内田百閧ヘ、夏目漱石の門弟だった。百閧フ随筆によく出てきてはおちょくられているっぽい森田草平にしても、漱石山房に出入りしていた弟子の一人である。他にも寺田寅彦や芥川龍之介。漱石やら百閧竄轤フ書簡や随筆を読んでいると、彼らの同時代人のキャラクターや人間関係が、無声映画の映像のように浮かび上がってきて面白い。だいたいが私はそういう下世話な興味でもって書簡集やら随筆やらを読んでいたりするのだが、『明石の漱石先生』はそれを抜きにして、百閧フ師に対する敬愛がまっすぐに伝わる一篇。いつも邪道なフィルターをかけて楽しんでいる自分が恥ずかしくなる。

 田舎の中学校時代から、同じく田舎の高等学校を終るまでの何年間、私は先生の文章によって、先生を崇拝し又先生を慕って居たのですが、いよいよ東京の大学に来る様になって、やっと先生に会って見ると、どうも何となく怖くって、いくらか不気味で、昔から窃かに心に描いていた様な「先生」には、中中近づけそうもないのです。
 その先生が、私の郷里から割りに近い明石まで来られると云う事は、何だか知らないけれども、急に天降って来て、手の届きそうな所にぶら下がる様な気がしたのです。私は無闇にうれしくなって、この機逸す可からずと思いました。


 夏休みで岡山に帰省していた百閧ヘ、漱石が明石で講演するという話を聞いて問い合わせの手紙を書き、聴いて貰いたくもないから、わざわざ出かけてくるに及ばないという漱石の返事も漱石らしいが、それでも明石まで講演を聴きにいくのである。そして、

何だか、先生が明石に来て、田舎なもんだから、調子を下げて話をして居られる様に思われたのです。

 と、鋭い観察をしつつ、それでひやりとしたという百閧ゥらは、どこまでも師の心情を思い遣る眼差しが感じられる。
 こんなふうにまっすぐに慕うことができる師を持った内田百閧ェ、少し羨ましい気がした。

2002.6.17 『百鬼園随筆』 内田百閨i新潮文庫) 再読…なのか?


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