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よしなしごと08
■ 2003.12.14 『寺山修司詩集』

 夢から醒める、ということに自覚的なのは、映画や演劇の世界の人には当然のことに違いないが、寺山修司はことに徹底的であるような気がする。例えば、彼の代表的な詩に挙げられ、彼自身のイメージにもなった『故郷の母のことを思い出したら』のうたい出し。

時には母のない子のように
だまって海を
見つめていたい

時には母のない子のように
ひとりで旅に
出てみたい
……

 有名なのはこのあたりまでで、私もてっきりそういう詩(つまり、家族という桎梏から解放された自由と孤独を郷愁とともに肯定するもの)だと思っていたんだが、その結尾は、

だけど心はすぐかわる
母のない子になったなら
どこにも帰る家がない

 もうひとつ。『ひとりぼっちがたまらなかったら』

私が忘れた歌を
誰かが思い出して歌うだろう
私が捨てた言葉は
きっと誰かが生かして使うのだ

だから私は
いつまでも一人ではない
そう言いきかせながら
一日じゅう、沖のかもめを見ていた日もあった

 『さすらいの途上だったなら』で、"さよならだけが人生だ" とうたい、その後『幸福が遠すぎたら』で、"さよならだけが/人生ならば/人生なんか いりません" とうたう。

 「どっちやねん!」とか思ったらダメなんでしょうね。きっと。紙芝居がハネて、「はい、今日はもうおしまい」と言われて、すとんと元の世界に戻ってきたときの孤独。余韻というものは、完全に醒めた状態でこそ、痛切に浸ることができるのだとでも言いたげだ。であればこそ、彼の描く夢の世界はとてもつなく印象的なんだろう。


2003.12.12 『寺山修司詩集』(ハルキ文庫)読了


■ 2003.11.22 『安土往還記』 辻邦生 (日記再録)

 最初から徹頭徹尾、抑制された文章が、最後の最後、瓦解の一瞬で不意に崩れるところに、震えが来るような美しさを感じました。闇の中にたいまつを掲げた大殿(シニョーレ)の姿。本能寺の炎上からすべての崩壊まで。官能的でさえある。

 信長が本能寺で死んでなかったら、とてつもなく歴史は変わっていたんだろうなあ。(歴史学にもしもは御法度らしいけど、学者じゃないから知らないもんね) 少なくとも、京都の寺社の半分くらいはなくなっていたんじゃないだろうか。でもその分、京都……あるいは岐阜・三重あたりは国際都市になっていたかも。外港は伊勢、津あたりか。いやこちらは軍港で、貿易にはやはり堺を使っただろうか。多分、黒船に驚くことはなかっただろう。信長のイメージ。徹底した合理主義者で個人主義者、理論家、無神論者。そして多分、大変な慧眼の審美家。辻邦生が作中で書く「意志」には、強固な「美意識」が含まれていると思う。


2003.10.25 『安土往還記』 辻邦生(新潮文庫)読了


■ 2003.11.16 『境界の発生』 赤坂憲雄

 要するに、杖は王権と支配権と境界を象徴する。

 そうだとすると、月面に突き立てられたアメリカ国旗はなんて象徴的なんだろう。かくも私たちは、太古から意識の奥深くに底流し、行為に現れれば習俗としか名づけようのないものに、呪縛され続けているんだろうか。

 ところで、こういう論文を読んでいて必ず遭遇する膨大な引用、注釈、付論のなかに、ちらほらと読んだ記憶のある書名や著者名があったりするんだが、内容をさっぱり覚えていないことに愕然とする。柳田国男に折口信夫、南方熊楠、網野善彦、阿部謹也、小松和夫。学生時代にこの分野にはまって、図書館の棚を端から読むなんていう阿呆なことをしていた時期があったけれど、それは本当にはしかのようなものだったらしい。咽喉元過ぎれば何とやら。我ながら鳥頭。いやザル頭だな……。ちなみに梅原猛などが、こういった学会系の論文ではきれいに無視されているのが、アカデミズムの姿勢として常々面白いところ。

 さらに脇道に逸れるけれども、民俗学の供犠論を読んでいていつも気になるのが、供犠となるのがいつでも社会的弱者だというところ。女、子供、共同体の外から来た異人。いくら学術的解釈でもってほじくり返しても、事実として横たわるのはそれしかないと思う。思ってしまう。これって供犠の意味を読み解こうとする民俗学を否定してしまうことになるだろうか。

 どう理屈をつけても、人間はエゴイスティックにできているのだと思う。それに、どういう心性で理屈をつけてきたかを理解することが、自分(個人)と社会とエゴイズムがどう折り合いをつけていくかを考えるということになる…のかなと思う。なんだか自信ないけど。


2002.8.22 『境界の発生』 赤坂憲雄(講談社学術文庫)読了


■ 2003.10.19 『私という謎 寺山修司エッセイ選』 寺山修司 (日記再録)

 評論はともかく、寺山修司のエッセイは短編小説のようです。エッセイが100%著者の実体験とは勿論思わないけど、寺山修司のものはいかにも創作の度合いが強い。あと、引用と地の文の区別が曖昧になるときが多い。本当に他人の文章の引用やら、自作の詩歌やら入り乱れて、目晦ましにあったような気分になるときがある。

それまで、私は詩歌においても、他の創作においても、極端に「告白」することを嫌い、「私の内実を表出する」ために書くのではなく、むしろ「私の内実をかくす」ために書くのだと思っていたが…(後略)「長靴をはいた男」(『私という謎』収録)

 この一節が、きっと寺山修司という人を如実に示していると思う。彼は家出し続けた男なのだ。事象をそのまんま書くよりも加工して創作するほうが難しいに決まっている。「自己表現のために書く」なんて抜かすぬるい文筆家に聞かせてやりたい台詞。引き続き『遊撃とその誇り』を読んでいるけど、こっちは映画の評論が多くて、観てない作品ばかりだからよくわからないのがつらい。


2003.10.18 『私という謎 寺山修司エッセイ選』 寺山修司(講談社文芸文庫)読了


■ 2003.9.30 『誰がヴァイオリンを殺したか』 石井宏 (日記再録)

 ここでの被害者は、音楽性豊かな奏者による人の心をとろかすようなまろやかなヴァイオリンの音。

 筆者は大音量が鳴るように改造された楽器を音楽性の枯渇した弾き手が演奏する今日を憂いて、古きよき古典の時代に思いを馳せているようですが、気持ちはわからないでもないが100年も経てば時代も人の好みも変化するのだから、楽器や奏法のトレンド、音質の変化は致し方ないのではと思います。流行は回帰するにしても。それに、モーツアルトの時代の演奏を忠実に再現して、それが現代の聴衆に受け入れられるかと言えば、そうでもないんじゃないかと私個人的には思います。

 それに、無条件に古い時代を称揚するのもどうですか。18世紀。あの時代の音楽家や楽団は現代の家庭のCDコンポ同様だし、モーツアルトの音楽は貴族の家のルームミュージックですよ。ま、それを今コンサートでありがたがっている我々はどうなんだって話はさておき、もともとそんなに目くじら立てる種類のものでもなければ、逆に手放しで賛美するようなものでもないのでは。エレガントさということに関しては、かの時代の人々のほうが敏感だったとは思いますが。

 読み物としては、大変面白く読めました。クレモナの楽器の価値をめぐるお話は、ヴァイオリンに限らず、これから楽器を買おうという人には参考になると思います。所詮楽器なんてどんな楽器でも自分の音以外は出てこないんだから、自分の満足した楽器を(どんな基準でもいいと思います。音が好きとか形が好きとか扱いやすいとか。骨董品的価値が好きならそれも結構)買えばいいと思います。

 いずれにせよ、ヴァイオリンという楽器は憧れはしますが、私の趣味には音域が高すぎて、強固な執着の対象にはなりえません。私が好きなのは野太くて低い音なのでね。コントラバスのC線なんか、もう最高。


2003.9.30 『誰がヴァイオリンを殺したか』 石井宏(新潮社)読了


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