2003年10月の不定期日記 
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不定期日記



■ 2003.10.26   本日の誤植

 問題点を端末にまとめてタイムリーに発信することが……

 ブー。「端末」→「端的」の間違い。

 プロジェクトが起動に乗っているかどうかを……

 ブッブー。「起動」→「軌道」の間違い。

 会議資料を家でチェックする羽目になり、嫌々読みはじめたものの、これが楽しいのなんの。
 もうこんな誤植、システム屋の業病ですね。手が勝手にキーを叩いちゃうのよ、きっと。そこのキーボート装着型リストパッドを手放せないあなた! クロックって言われたら、即座にCPUのことだと思っちゃったりしませんでしたか? デーモンと聞いて、小暮じゃなくてサーバが脳裏に浮かんじゃったりしたことはありませんか? HPを迷うことなくヒューレット・パッカードと訳してしまったり、『GOTH』を『GOTO』と見間違えて眉間に皺を寄せてしまうようなあなたは、立派な職業病です。こういう人は、手書きの原稿はもっと壊滅的に酷いという噂。ほら、システム屋、漢字書けないから。……私のことか。


■ 2003.10.25   小康状態

 今日一日ごろごろしていたら、風邪がやっと鎮まってきた。

 信長繋がりで『安土往還記』辻邦生(新潮文庫)読了。
 最初から徹頭徹尾、抑制された文章が、最後の最後、瓦解の一瞬で不意に崩れるところに、震えが来るような美しさを感じました。闇の中にたいまつを掲げた大殿(シニョーレ)の姿。本能寺の炎上からすべての崩壊まで。官能的でさえある。

 信長が本能寺で死んでなかったら、とてつもなく歴史は変わっていたんだろうなあ。(歴史学にもしもは御法度らしいけど、学者じゃないから知らないもんね) 少なくとも、京都の寺社の半分くらいはなくなっていたんじゃないだろうか。でもその分、京都……あるいは岐阜・三重あたりは国際都市になっていたかも。外港は伊勢、津あたりか。いやこちらは軍港で、貿易にはやはり堺を使っただろうか。多分、黒船に驚くことはなかっただろう。信長のイメージ。徹底した合理主義者で個人主義者、理論家、無神論者。そして多分、大変な慧眼の審美家。辻邦生が作中で書く「意志」には、強固な「美意識」が含まれていると思う。

 バックミュージック。ラフマニノフの『2台のピアノのための交響的舞曲』(アシュケナージ&プレヴィン)。何故に。

■ 2003.10.21   関節が痛い

 という症状は、私の風邪の自覚症状としては相当やばい部類に入るのですが、家にいても急を要するメールがぽんぽん来るので(こういうときに限って…)、しかたなくぱそこんを布団に引っ張り込む。姿勢悪いなあ。最近腰が痛いのって、これに限らず姿勢のせいか?

 『室町お伽草子』山田風太郎(新潮文庫)読了。
 新聞小説を一気読みすると、こんな感じっすかね。分厚さのわりに異様に早く読み進む。信長が可愛すぎる。


■ 2003.10.19   いろいろジェットコースター

 舞い上がったりショック受けたり、忙しいったらありゃしない。

 星野監督勇退ですって! 通勤電車のなかで向かいに座ったおじちゃんの日刊スポーツで知りました。思わず舐めるように読んでしまいましたよ。そりゃ今なら最高の花道だけどさー(涙)

 ボランティア演奏会は何とか無事終了。本番当日に突然乗る曲が変わったりしてびびりました。いろいろ楽譜にない音を出したような気がする。あああ… でも、地元のイベントで演奏したんですが、観客の皆さんとても受けてくれて嬉しかった。楽器紹介で笑い取ったりして、旅回りの一座のような気分。

 寺山修司『私という謎 寺山修司エッセイ選』(講談社文芸文庫)読了。(10/18)
 評論はともかく、寺山修司のエッセイは短編小説のようです。エッセイが100%著者の実体験とは勿論思わないけど、寺山修司のものはいかにも創作の度合いが強い。あと、引用と地の文の区別が曖昧になるときが多い。本当に他人の文章の引用やら、自作の詩歌やら入り乱れて、目晦ましにあったような気分になるときがある。

それまで、私は詩歌においても、他の創作においても、極端に「告白」することを嫌い、「私の内実を表出する」ために書くのではなく、むしろ「私の内実をかくす」ために書くのだと思っていたが…(後略)「長靴をはいた男」(『私という謎』収録)

 この一節が、きっと寺山修司という人を如実に示していると思う。彼は家出し続けた男なのだ。事象をそのまんま書くよりも加工して創作するほうが難しいに決まっている。「自己表現のために書く」なんて抜かすぬるい文筆家に聞かせてやりたい台詞。引き続き『遊撃とその誇り』を読んでいるけど、こっちは映画の評論が多くて、観てない作品ばかりだからよくわからないのがつらい。

 国立西洋美術館『レンブラントとレンブラント派』と上野の森美術館『ピカソ・クラシック』をはしごしてきました。相変わらず芋洗いなんですが、だいたい展示室に入った直後のスペースと、角に絵が掛けられているところが混むんですね。その後はそれなりに人が分散してまだ見やすい状態になっていることが多いことを学習しました。最近は、全部見ようと思わないで、つらつら眺めて惹きつけられたものだけ側に寄って見るようにしてます。よく考えたら展示室に入った直後なんてぱっとした作品がおいてあることも少ないんだし、それほど興味のない作品を側で見るために人ごみにうんざりすることもないわけです。

 はしごして思ったのが、レンブラントは面で構成する画家で、ピカソは線で構成する画家だなあということ。レンブラントは素描や版画より油彩の立体感と厚み、明暗のコントラストが素晴らしいんですが、ピカソは紙の上に引かれた1本の線が素晴らしい。それ以外にありえない的確な線。その上に色が乗ってくると、線の生命力が薄れるような気さえします。そういうわけで、レンブラントでは版画をすべてすっ飛ばし、ピカソでは油彩をほぼ素通りするという両極端なことになってしまいました。

 『レンブラント』のほうで良かったのは、『洗礼者ヨハネの斬首』(伝カレル・ファブリティウス)。サロメを題材にした有名な絵で、写真で見たことはありました。横を向いたサロメは自分が所望したヨハネの首ではなく、首を抱えた首切り人を見ている。その目の強さ。裏腹に握った右手の示すためらい。見返す首切り人のどこか悲しげな表情。サロメの後ろから覗き込む女の冷めた表情……と思いながらメモを取っていたら、年配の女性に「信者さんですか」と声を掛けられてびっくりしました。違いますと答えましたが、その方はキリスト教徒の方だったらしく、サロメの後ろの女はヘロディアではないかと教えてくれました。聖書のヘロデとヘロディアとサロメの話を教えてくれて、オスカー・ワイルドの『サロメ』さえもうろ憶え私には大変勉強になりました。西洋画を見ていていつも思うんですが、聖書くらいきちんと読んでおかないと何のことだかわからん絵だらけです。

 『ピカソ』のほうは舞台美術のラフが沢山あって面白かったです。『三角帽子』とか『プルチネッラ』とかの舞台美術をピカソがやってたなんて知らなかった。贅沢だなー。

 帰りに落乱34巻GET! なんつーか、こういう一日は幸せですね。

 ここまで書いてきて、せめて本と美術館の話は別ページに分離すればよかったと思いました。もう遅いけど。馬鹿長くて申し訳ない。


■ 2003.10.16   持ちネタ

 オーボエは屋台ラーメンのチャルメラ、フルートからはピッコロで『ミッキーマウス・マーチ』、クラリネットは『クラリネット壊しちゃった』、ホルンは『アルプスの少女ハイジ』のテーマ、ラッパ・トロンボーン連合でG1レースのファンファーレ。弦はいろいろできるけど、代表でヴァイオリンによる救急車の音(ドップラー効果付き)あるいは、かもめの鳴き声など。何かっつーと、楽器紹介のときの持ちネタです。

 で、我らがファゴットなんですが、長らく私の持ちネタは『まんが日本昔話』のバックミュージック(こう言うとわからないかと思いますが、多分聞けばすぐわかるフレーズです)だったのですが、うちの楽団の十八番は『ドラえもん』のテーマらしい。今度のボランティア演奏会で楽器紹介をやるもので、初見に弱いし練習しないと不安なのでさらってたんですが、当然隣近所に漏れ聴こえているかと思うと結構恥ずかしいものがある。真面目にやるなら、『ピーターと狼』(プロコフィエフ)のおじいさんのテーマとか、有名なソロはあるんですが、あれはあれで一発芸でやるには結構難しいフレーズだったりして危険だ。ロシアの作曲家って、結構ファゴットを効果的に使ってくれて嬉しいんだけど、その分無茶だったりエグかったりして、名誉の影にはたゆまぬ努力と辛抱が必要なんだと悟らせてくれます。いいや、楽して目立ちたいなんて低音楽器の風上にも置けん。自己批判! 自己批判すべし!(いかん、『パルタイ』を読み返したりなんかしたから)


■ 2003.10.13   スコール一過

 ここは亜熱帯か、と思うような湿気と突然の豪雨。亜熱帯らしく、2時間くらいであっさりどこかへ行ってくれたのでよかったですけど。

 昨日書くのを忘れてましたが、映画館で『キル・ビル』の予告を見て、雑誌などで聞く分にはさっぱり興味が湧かなかったんですが、俄然行く気になりました。ユマ・サーマンのだっさい体操服(ジャージと言うことさえ憚られるアレさ加減には、この表現しかないと思う)姿が拝めるのは、後にも先にもこの映画以外にあるまい。くふふと笑いがこみ上げる、よさげな感触を得ました。『パルプ・フィクション』を見逃して以来、実はこれまでタランティーノ監督作を観たことがないのです。

 オーストラリア国立室内管弦楽団(ACO)の演奏会に行ってきました。さいたま芸術劇場。面白いコンサートでした。ここの楽団は、立ったまま演奏します。指揮者なしで、コンサートマスターが合図出しするやり方。加えて手や楽器を叩いたり、足踏みしたりパフォーマンスたっぷり。指揮者なしの室内オーケストラにはオルフェウス室内管弦楽団などもありますが、さらにもうちょっとくだけた感じです。選曲もピアソラとベートーヴェンのヴァイオリンソナタ弦楽合奏版と、雑食系です。
 前半のピアソラのプログラムはバンドネオンでなくてアコーディオンのソリストが入ってたんですが、こうやって聞くと音が全然違う。バンドネオンのほうが音色が渋くて音量が小さいんですね。アコーディオンは明るくて軽い音色で音量もあるもんだから、後ろの弦楽合奏を消しがちでした。これは席のせいもあって、1階の真ん中へんの席だったんですが、奏者が立っているせいで音が上に逃げてしまう感じ。これなら2階席のほうがよかったかも…
 後半のクロイツェル・ソナタ弦楽合奏版は、最初からこういう曲と思ってしまいそうなくらい違和感なく弦楽合奏になってました。リチャード・トネッティ(コンマスの人です)のソロはちょっと音程が粗い感じがしつつもノリノリで楽しい。アンコールがメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲第3楽章(これまた弦楽合奏版)というのは贅沢の限り。メンデルスゾーンになったら、いきなり音が甘くなったあたり凄い人です。しかもあのスピード。堪りませんね。<爆走系大好き。

 奥泉光『石の来歴』(文春文庫)読了。どーしてこの人はこういう小難しいテーマが好きなんでしょうか。内容が小難しいわりには、文章にそこはかとなく可笑しみがあって、嫌気が差さずに済むんですが。系統としては『バナールな現象』や『ノヴァーリスの引用』に近い感じ。


■ 2003.10.12   蒸し暑い

 気持ち悪い天気でした。

 『リーグ・オブ・レジェンド』を観てきました。ストーリーとか映像とか特にぱっとした映画ではなかったですが、私の目的はショーン・コネリーなので問題ナシです。いやあ、いいなああの親父。どうもインディ・ジョーンズの頃から、親父役が板につくようになってきましたね。格好いいんですけど。それにしても、ここ最近観た映画のなかでは『永遠のマリア・カラス』に次いで観客に中高年層が多かったんですが、やっぱりコネリーさんのせいでしょうか。(『マリア・カラス』は客の服装からして、なんか普通の映画館と違った…)

 さて、最近の、クラシック好きの方以外置いてきぼりの(クラシック好きの方でも置いてきぼりかも。なにせ趣味が偏り過ぎ)CD試聴大会感想垂れ流しですが、迷惑千万にも今日も行きます。TOWER RECORDSの喧しさにはうんざりしつつも、試聴コーナーに腰掛けがあるもので、ついつい長居してしまうのです。そして、ここにこうやって書いておかないと、何をどう聴いたのかすぐに忘れる鳥頭なもので。

 リヒテル(pf)のドヴォルザークのピアノ協奏曲(オケはどこだか忘れた)、ドヴォルザークにピアコンがあったとは知りませんでした。いかにもドヴォルザークな節回しがイイんですが、それなら交響曲だけで十分な気がして(8番くらいしか知らないくせに)お腹いっぱいでパス。アンドラーシュ・シフ(pf)のバッハ、ゴールドベルク変奏曲。もうちょっとテンポが速いほうが好きなんだけどなあ。音はとても綺麗で惹かれるんですが、ちょっと安全運転過ぎ。いやしかしバッハに何を求めてるんだ私は。
 ヒラリー・ハーン(Vn)のバッハ、無伴奏ヴァイオリンソナタ。とりあえずシャコンヌを聴く。聴きなれているクレーメルのと比べて、かなり落ち着いた演奏。若いのにちょっと意外。驚くほどゆったりと、あまり大きく振幅しないかわりに息が長くて気持ちいい流れ。そう、この人フレージングが長いんだ。まあ、クレーメルがトンガりすぎの短すぎとも言いますが。曲のなかに一本やわらかい糸が張ってあるように、ずーっと音が繋がっていくんですね。過呼吸でちょっと忘我の境地に達しそうな演奏です。(管楽器をやっているせいか、ついついブレス込みで音を追っ掛けてしまう) これはこれですごくいいなあと思いましたが、すでに他のCDを持っているもので今日は我慢。薬が切れたようにまた聴きたくなるようなら買いに走ろうと思います。
 ゲルギエフ&キーロフ管のラフマニノフ交響曲第2番。ラフマニノフって、やっぱりどう聴いても映画音楽に聴こえるのは私だけでしょうか。もうこれ聴いてると、誰かこの音楽当てられる映画を作ってくれえぇと本末転倒なことを思うのですが。それにしてもこのCDジャケットのゲルギエフは凶悪な顔してます。それでも買う馬鹿な私。

 処分品リストを更新してました。

■ 2003.10.8    今ごろ

 2ちゃんねるのクラシック板なんかに入り浸ってました。
 いやーあるもんですね。 マイナーだと思ってた話題が。ディープなシューマンスレッドがあったり、かなり皆さん通い詰めてらっしゃいますねなホールの音響スレがあったり、アファナシェフスレに小菅優スレ。世の中いろんな人がいるもんです。ロシア系の作曲家のスレッドはなぜかどれも柄が悪かったのですが、なんでかしらん。

 ANDSNESはアンスネスと読むようです。ノルウェーのピアニストらしい。道理でグリーグ。前にここで、シューマンのピアノ協奏曲が面白くないなどと抜かしましたが、それは刷り込まれ盤が悪かったらしい。アンスネスのはスピード感があって楽しく聴けます。甘いところは甘く、飛ばすところは飛ばす。音も濁らず美しい。これまで持っていたブレンデルと聴き比べてしまいましたが、音はきれいかもしれないが彼の演奏には勢いとかフレッシュさというものがないように思いました。私はミーハーなので、あひるボートで景色を堪能するより、断然ジェットコースターで絶叫を採ります。(いや、アンスネスがジェットコースター型ってわけじゃないんですが。むしろそれはシフラとかホロヴィッツ…)


■ 2003.10.5    散財中

 昨日のタンゴピアニストはアベル・ロガンティーニという人でした。覚えておこう。

 チケットの予約して買い物して洗濯したら一日が終わりました。これぞ正しい休日? 予約したのは、オーストラリア国立室内合奏団のコンサート。なぜか埼玉開催。リバーダンスも来日中。同志が見つかったのでこれも予約に走ります。もう今月は散財する覚悟を決めました。

 HMVが一時閉店してしまったので仕方なくTOWER RECORDSに通っているのですが、店内で流している音楽がヘッドホン越しにもうるさいくらい聴こえて、クラシック曲は試聴しづらいったらないです。

 小菅優のリスト超絶技巧練習曲集は「鬼火」がしっくりこなくてパスしました。ちょっと独特の抑揚の妖気が漂うような演奏ではあったのですが、やっぱり私は速いのが好きでして。もうB級とでも何とでも言って。その代わり、輸入版のリストとシューマンの小品集を買いました。小菅さんの音は、ぼやける寸前くらいまでペダルをフルフルに踏んだ感じなのですが、それでも音が濁らない微妙なバランスが凄いです。低音も鳴るけど、ピアノ特有のきつい打鍵の音じゃなくて(そういうのも実は私好きですけど)、ソフトフォーカスがかかったなかに包み込まれるような、でもパンチのある、まさにベースの音です。大伽藍でパイプオルガンを聞いているような印象。これが録音のせいなのかどうか。是非一度、生で聴いてみたい人です。ツィマーマン&バーンスタイン&BPOのブラームスピアノ協奏曲2番はきれいすぎて、私のキワモノ好き魂には訴えかけてこなかった。

 最近、シューマンのピアノ曲が沢山CDで出ているような気がするのは、私の超偏った趣味フィルターのせいですか。覚悟を決めたら途端に誘惑に負けて、アンドラーシュ・シフのシューマン小品集と、ANDSNESという人(知らないピアニストです。輸入版なので発音がわからない…)のグリーグとシューマンのピアノ協奏曲(オケはマリス・ヤンソンス&BPO)を買ってしまいました。グリーグとシューマンって、こうやって並べて聴くと相性がよいような。シューマンの曲は、変に勿体つけるより、さらさら弾いたほうが綺麗に聴こえるようです。

 また最近、在庫の整理中です。というわけで、処分品リスト更新。

■ 2003.10.4    タンゴのピアノ

 タンゴのピアノの何が好きといって、ピアノを純粋に打楽器的に使うところが大好きです。最低音域の、もう音程なんかよくわからないような部分を使って、音の塊を叩き込むようなリズムを刻むときなんか、もう惚れ惚れします。上手い人の音はまたエッジが効いててカッコいいんだこれが。

 というわけで、バンドネオン奏者・小松亮太のコンサートに行ったにも関わらず、私が聞いていたのはほとんどピアノとベースだったのでした。ベースもめちゃめちゃ上手かった! バンドネオン3つにストリングス4本にピアノが鳴っているなかで、ベース1本きっちり聞こえてましたからね。ピアノもガンガン音量出ていながらも、決して浮かず他のパートを邪魔しないところがもう憎いね。

 ただ、気になったのがマイク。エレキベースやギターが入る編成の場合は、音量のバランスから、マイク使うのも仕方ないかと思ったけど、後半のアコースティックのみの編成では要らなかったんじゃないかなあ。ホールも小さいんだし。ちょっと全体のボリュームに耳が疲れる感じ。






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