2003年11月の不定期日記 
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不定期日記



■ 2003.11.30   今年も

 残すところ僅かとなってしまいましたね……

 他人の私生活に興味はないんですが、休日出勤すると必ずと言っていいほど顔をあわせる人の私生活はちょっと気になります。隣の部署の人なんですが、同僚の証言と総合すると、ほぼ毎週、しかも土日両方とか出ているらしい。そのかわり平日のどこかで休んでいるというわけでもなさそう。日曜1日だけ出て、それも昼ごろ顔を出して夕方には帰った私でさえ、今この時間(21:30現在)まで買い物だの洗濯だのという切羽詰った雑事に追われているのに、一体どうやって生活しているんだろう。っていうか、身体もつんだろうか。

 大変久し振りに炊飯器が稼動しました。米を切らしたまま夏を迎え、何となく蕎麦や素麺で食いつないでいるうちに寒くなり、しばらく鍋焼きうどんにはまって今度はうどんで食いつなぎ、そんなこんなで幾星霜……ちゃんと動くか心配なくらい使ってませんでしたが、無事に煙…じゃなかった湯気が出ているので、炊けているっぽい。

 炊けました!(22:05現在) あー…新米なのを忘れていた。ちょっと水が多かったようです。まあでも保温しているうちに多少乾くであろう。

 ジュースキントの『コントラバス』と『鳩』を入手。嬉しい。

 処分本リスト更新。


■ 2003.11.29   穴に向かって叫びたい

 生涯3番目くらいに恥ずかしい失態を晒しました。ここに書くのも忍びない。そういうことの後は大体気が動転しているもので、案の定というか、傘を忘れて帰ってきました。建物から駅まで屋内を辿って行けるのが敗因。電車に乗ってから思い出しました。朝から雨が降ってたので、傘忘れてる人なんて誰もいないし。こういう日は濡れて帰れという託宣ですか。穴でも掘って中で大声で叫び喚いて、あとは記憶を封印してキレイさっぱり忘れたいですが、人間こういう余計なことはよく覚えているもんですよね……

 そんな私の心の慰めは、帰ったら入っていた留守録。取り寄せを頼んでいた、ジュースキントの『コントラバス』と『鳩』が入荷したそう。明日会社行くついでに取りに行こうっと。


■ 2003.11.28   中国という謎

 日野啓三『遥かなるものの呼ぶ声』(中公文庫)読了。(11/27)
 日野啓三の文章は好きなんだけど、久し振りに読んだこれは、ちょっと酔いすぎだと思う。感傷的になりすぎというか。繊細だけど乾いた感じが好きだったんだけど。生死をさまよう大病をした後の著作だからですかね。

 紀行文というか随筆というかという文集なんですが、一番印象的だったのが、中国杭州のことを書いた『古都 美と暴力と』の章。杭州は、「上に天国あり下に蘇州と杭州あり」と言われた、江南の美しい都です。私は行ったことありませんが。何せ中国本土はまだ踏んだことがない。そのうち絶対に行きたいんだけど。それはいいとして、中国というのは不思議な国です。何をやるにしても半端じゃない徹底振りが、繊細と殺伐というほぼ正反対の分野でも、目盛が振り切れる極端さで表出していると思う。この上なく優雅で繊細な美術品や工芸品、庭園や建築を作り出しながら、一方で戦乱の度にいとも無造作に大量の人間が殺され、徹底的な破壊が行われる中国という国の感性は本当に謎で、だからこそ魅力的でもある。その美と繊細の極致を体現する杭州に、「冷笑的」な気配を感じたというくだりには、「なるほど」と思いました。どんなに自然に見えてもすべてが計算され、設計し尽くされた庭園には、精巧な模型に感じるような「夢中になった人間の負け」的な気持ちになるし、それを作った人間からは、それに魅せられた人間への軽侮の情を感じないでもない。「アンタの天国ってのは、これくらいのもんかね」という。前々から薄々思っていたんだけど、中国の隠遁者とか仙人だとかは、実はものすごい根性悪だったんじゃないだろうか。冷酷と言ってよいくらいには。

 そんなことを思いつつ、読み終わった翌日には何を思ったか『小道迷子的迷上中国話』なる本を買ってしまった…… ギャグで覚える中国語会話(笑) 「迷子になっちゃった〜」とか「おつり間違ってるよ〜」とか、「食いすぎでお腹痛い〜」などなど超実用的な語句が目白押しで嬉しい。去年の台湾行は「にーはお」「謝謝」「請問」「多少銭」「対不起」のほぼ5単語で乗り切ったけど、大学で中国語取ってた人間がそんなこと自慢でも何でもないのです。ちなみに聞き取れたのは挨拶と地名と数字と「没有」くらい…… 「没有」って、ほんとに「ねえよ」って聞こえますね。あ、あと「小姐(シャオチエ)」。「おねえさん」とか「お嬢さん」とかって意味のはずなんだけど、うちの母もそう呼ばれてたから、関西などで言う「ねえさん」に近いんですかね。そういえば、北京出身の友人が、『英雄-HERO-』の中国語は教科書的に聞き取りやすい中国語だと言ってました。そうそう、現代中国語は、漢詩愛好家の文学青年にカルチャーショックを与えるほど合理的かつ即物的です。1年ほど中国駐在になった大学の同期は、強くなって帰ってきました。「仙人だって餃子を食ってたに違いない。霞なんかで勝てるもんか」とか何とか文句言ってた。そりゃそうかもしれないね。


■ 2003.11.25   雨が

 降るくらいなら雪が降ればいいのに。

 休日出勤に慣れてしまうと、平日がやる気レスになるのがいけない。休日の誰にも邪魔されないときの集中力と生産性を知ってしまうと、平日の雑音が堪らんです。

 正月帰らないと実家に通告したら、妹その2が来ることになった。それはいいけど、うちにはテレビもゲームもないからきっとつまんないよ。新聞も取ってないし(必要なときは駅で買う)。こう書くとちょっと隠遁生活じみているけど、週に5日も外に出ていれば、必要な情報は向こうから飛び込んでくる。それ以上は知る必要ないんじゃないかと思う。少なくとも私には、これくらいのフィルターがかかっているくらいでキャパシティ的にちょうどいい。時間もその間に見知りできることも有限なんだし、無闇にインプットをザルな状態にして無駄遣いすることはないのだ。とは言え、人は人なので、適当に退屈しないだけのネタは持ってきなよね。その2。


■ 2003.11.23   ボージョレー・ヌーヴォー

 出てますね。どうしようかな。<フルボトルを空ける気か……

 オケの練習。ブルックナーの4番は弦楽器の玄人受けする曲ですね。ヴィオラとか、すごく楽しそう。ファゴットはトロンボーンの気持ちを学習しました。20小節も休んでたら、リードは乾くしピッチなんかもうわからんわーい。

 だいぶ前からストックしていたスパークリングワインを空けました。これまたおいしかったので、忘れないように記録。Codorniu Classico(Seco) Cava スペイン産、ハーフボトル。カヴァというのはスペイン産のスパークリングワインのことだそうです。これからクリスマスシーズンで、いろいろシャンパンが出回りますね。楽しみ。

 豚汁は一両日でなくなってしまった。果敢ない……(というより食いすぎでは…)

 処分本リストをちょこちょこ更新中。


■ 2003.11.22   鍋いっぱいの

 豚汁つくってしまいました。どうする気だ私。

 昨日書いたジュースキントは、『コントラバス』という小説も出しているらしい。書名だけで私のハートを鷲掴み。今日は行けなかったけど、近々馴染みの書店に取り寄せを頼もうと思います。実は私、いまだAmazon使ったことないです。カードを極力使いたくないもので。

 私は、どちらかというと心理描写重視、心情吐露系よりも、乾いた語り口の、しっかりプロットのある物語系の小説のほうが好きなようです。主人公が延々心情を述べたり、あーだこーだと悩み出したりすると、正直ウザイ…と思ってしまうのは血も涙もないですかね。でも、明らかに一人称あーだこーだ悩み系の夏目漱石『こころ』なんかはわりといけたところを見ると、文章が作中の人物の視点や心情にべったりへばりついた書き方が苦手なのかも。自分が感情移入する前に、すでに文章が感情移入してしまってて、逆に白けるような、そんな感じ。一人称でも、語り手本人と距離を置いた語り方というのはできるものです。このあたり、欧米の作家、それも古典的な文章のスタイルとか構成を採る小説のほうが肌に合う気がする。

 いまだによろよろとviを使い、設定ファイルをおっかなびっくり書き換えている状態ですが、それでもじわじわとLinuxに惚れてきました。一番の魅力は、同じマシンスペックのWindowsマシンより格段に速いこと。家のPCを買い換えるなら次は林檎ちゃんと思ってましたが、Linuxでも良いかも。フリーだしね!

 明日は練習。あさっては出勤。今日は大人しく部屋の掃除。

<備忘録・買い物リスト>
・葉書用ファイル
・ベッドマットカバー
・マウスパッド
・大きめ重めのブックエンド
・炬燵!


■ 2003.11.21   たまたま

 入ったラーメン屋で向かいに座ったカップルの会話。男の方は営業職らしい。とつとつとした関西弁。
「営業のファイル見たらな、台帳に書かなあかんねん。機密保持とか何とかでな」
「うん」
「でも誰も書いてへんねん」
「うん」
「3ヶ月くらい前に部長が言い出してんやん。2ヶ月くらいは皆書いててん」
「うん」
「でも今は誰も書いてへん」
「うん」
「ロッカーもな、鍵かけなあかんねん」
「うん」
「でも今日見たら隣の奴のが開いててな、誰も守ってへん」
「うん」
「こんなことも守れへん人しかおらんかと思うと、嫌になるよな」

 衝撃的でした。この最後の展開に衝撃を受けた自分が。

 私は遵法心薄いかもしれません。アホらしい決まりなんか守らなくてもいいと思ってしまう。世の中には気が良いというか、真面目な人がいるもんだなと思いました。ここのところ、殺伐としたメールや電話しか受けてなかったもんだから…

 パトリック・ジュースキント『香水』(池内紀・訳 文藝春秋)読了。
 これは凄い小説です。ここ数年来の私的ヒットかも。といっても、この作自体は88年が初版の、息の長いベストセラーらしい。匂いこそが生命であること。そして人間が突き動かされるのはつまるところ二大本能、食欲と性欲でしかないこと。愛でさえも例外ではなく、それどころか、愛の本質など動物的な本能以外の何ほどのものか、と喝破する。人々の神なるものへの崇拝、信仰の陶酔さえも、匂いによって支配できるに違いないという主人公グルヌイユの独白には、アナーキーな凄みさえ漂う。その一方で、匂いを持たないグルヌイユ自身は、匂いに支配されることがないかわりに、匂いのもたらす、生命そのものとも言える陶酔を味わうこともない。その二律背反が、最後にはグルヌイユを殺すことになる。強靭無比な構成と、素っ気ないような饒舌なような語り口がフェロモンのように人を惹きつけて離さない、恐ろしくもグロテスクな、悲しい小説です。


■ 2003.11.16   冬支度

 今日は友人の家でBBQ。ここ数ヶ月の不摂生を取り返す勢いで、たらふく肉と野菜を食ってきました。これだけ食ったのは久し振り。冬眠前の熊じゃあるまいし。また食うメンバーが揃ったもので、4人(うち女性3人)で軽く6〜7人前は平らげた模様。肉なんか一人当たり300グラム近く買い込んでたのに、見事に完食したもんな……。いやでも楽しかった。しかも家でやると安く上がるね。

 引越し以来、未整理のまま積んであったダンボールから、冬用のコートとレッグウォーマーを発掘。フローリングは足が冷える。近所のスーパーで蜜柑をゲット。ついでに味噌と大根とうどんを買い込み、うどんは即冷凍。とりあえず、蜜柑と大根があれば私は冬が越せます。

 昨日はオケの練習。1月の演奏会の編成が最終決定しました。2曲もトップだよ。年明けは仕事のピークともろに重なるのがつらい。仕事と言えば、勝訴とは言え予断を許さない状況は相変わらずで、正月の待機指令が出ました。出勤になるかはまだ未定。やだやだ、出勤は回避せねば。でも万が一出勤なんてことになったら、蜜柑と番茶は持ち込ませてもらう。


■ 2003.11.15   にわか金魚熱

 ちょっと前に手に入れた金魚本をつらつらと眺めていて、とても複雑な気分。無邪気に、「あ、これ可愛い。欲しい」と思うものから、自然界の生存競争をまるで無視したかのように全く実用的でない、でも溜息が出るほどに美しい姿のもの、そして、思わず「うげッ」とうめき声をあげてしまうようなグロテスクなのが、結構ある。例えば私は朱文金や琉金、土佐金みたいな、鰭がふりふりなのにまるまるしたやつは、もう可愛くて可愛くて、写真を見ているだけでも衝動的にお店に買いに行きたくなってしまう。三色ふりふり尾鰭のキャリコ琉金なんて、溜息もの。一方で地金やコメットみたいなすらっとしたやつも地味だけど、長くつきあえそうで(何だそりゃ)いいなと思う。でも、出目はまだ可愛いけど、金魚の王様と言われている蘭鋳はダメです。なんだか好きじゃない。多分、蛙や蛇が苦手っていうのと同レベルでダメです。頂天眼や水泡眼に至っては、何がいいのかさっぱりわからない。背鰭がないのもなんだか不自然で苦手なので秋錦や南京もダメ。かろうじて江戸錦や桜錦は色と顔が可愛いのでOKです。

 …っていう、金魚にしてみれば大きなお世話な人間の我儘が、ここまでの種類の金魚を作り出したんですね。不自然だなんて発言は笑止千万で、もともと金魚は交配と淘汰で営々と作り上げた人工種なわけです。泳ぐ、という実用面からはありえないあの尾鰭ふりふりは、まさに人工美の極致。考えてみれば、これは金魚に限ったことではなくて、園芸も盆栽も、所謂ペットも全部そうですね。自然のものだけでは我慢できなくなって、自分であれやこれや手を加えた挙句、気持ち悪いとか不自然とか言うんだから、勝手なもんです。どちらも人工的なのに変わりはないのに、コメットは良くて、蘭鋳はダメなのかと。あーこの辺踏み込むと、生物学のタブー領域に差し掛かりそうだ。

 この金魚本、後ろの方に金魚の種類の説明がついてるんですが、そこのセクションに入る直前に、白塗りの女性の顔アップの写真が入っている。ほんとに至近距離のアップなので、造作はほとんどわからないのですが、目鼻の感じから、女性というより少女という程度の年齢かもしれない。肌のきめなんかわからないくらいの徹底した白塗りに、目じりもぎりぎりのところまで朱を差していて、でも唇だけが剥き出しになっていて、そこだけ生々しい質感にどきっとする。あとに続く、どの種とどの種を交配したの淘汰したのという金魚の解説の前にこの写真を持ってきた編集者は、確信犯です。美しいものは、必ずどこかグロテスクだ。


■ 2003.11.14   真面目に

 A4タテのWord文書を40ページほども粗製濫造していたら、さすがに手が痙攣してきた。私はこんな職種のくせしてブラインドタッチがあやしい上にキータイプもあやしくて、キーボードの右手カバー範囲が3分の2を占めているらしく、コレとってもいけないらしいです。「T」のキーを右手で打つって言ったら同僚にびっくりされました。その代わり、片手打ちとか速いよ。左手で煎餅食べながら右手でメール打つとか、日常茶飯事だし(お行儀わるわる…)。

 今日は久々にブルドーザーの勢いで仕事しました。上司から勝訴の報告があったので(顧客との納期の交渉で)、俄然モチベーションが上がりました。いや、いつも真面目に仕事してないわけじゃないんですが。私はお昼休み1時間ぴったり取ってその分1時間残業するくらいなら、お昼席で仕事しながら食べて、残業しないで帰る主義です。それでも、メール投げてその回答待つとか、電話掛けてその回答待つとか、電話掛けたら相手がいなくて折り返しを待つとか、その間に別の電話が掛かってくるとかやってると、意外と時間が経っているわりに何もやってないんですね。でも今日は電話する用もメールする用もなかったので(というか急ぎじゃなかったから、まるっと保留!)、まさに100%生産。溜まっていた雑用から設計書のチェック、そこから設定への落とし込みと反映、自分の担当分の設計書書きに顧客向け説明資料書き。手元資料として持っていた紙の束を生産物に反映するたびに、ぽいぽいゴミ箱に捨てていくのが気持ちいいのなんの。作ったブツはチェック待ちとして上司の机の上にでんと積み上げておく。これもまた気持ち良し。……なんか、掃除している気分なんですよね。

 そうして人間らしい時間に帰宅。つーても21時ですけどね。11月でこれでは、やっぱり今年度末も火を見るな……


■ 2003.11.11   趣味

 ラフマニノフ『交響曲第二番』(ゲルギエフ&キーロフ管)→チャイコフスキー『交響曲第五番』(セル&どこだっけ…例によってCDケースが見当たらない)→シューマン『ピアノ協奏曲』(アンスネス/ヤンソンス&BPO)という、趣味の疑われるローテーションになってます。うちのCDプレーヤー。

 交響曲って、大体1、4楽章が印象的(有名なのもこのへん)で2楽章が軽快な感じ、3楽章は緩徐楽章とか言われてお昼寝の時間というのが一般的だと思いますが、この3楽章がバックで流すには意外といい。特に今病みつきになっているのが、ラフマニノフの2番の3楽章。上のゲルギエフ指揮のなら、5:40あたり(そんな無茶な場所の指定のしかたを…でもスコア持ってないから練習番号とかで言いようがないし)からの流れがもう痺れるほど好きです。トゥッティばかりのスポンジケーキなどとラヴェル好きの友人には扱き下ろされましたが、いいのさ私だけが楽しいから。ラヴェルも好きだけどね、何でもカラフルならいいってもんでもないのさ。セピアトーンだってキレイなのさ。だったらチャイコフスキーは何なんだって言われるかもしれませんが、5番はまだ渋いですよ。4番はちょっと恥ずかしいけどさ。冒頭のクラリネットの暗い音色の深さ、全編にわたっての低音の太さ艶やかさ。ファゴットだって、これだけセクシーな使われ方してる曲は他にないと思う。自分で吹くのは御免だけど(私はスコア見て放り投げた…)。

 クラシック好きという人と話をしてて、ラフマニノフとかシューマンてほんとにマイナーなんだなーと実感します。単純な人口比で行けば、ベートーベンとかモーツアルトなどが好きな人がはるかに多そうです。チャイコフスキーやブラームスもまだ多いほうかな。ピアノやってる人ならショパンやリストのシェアが高いし。これがシューマンになると一気に減る不思議。ロマン臭ぷんぷんは流行らないのかしらん。いっとくけど、ラヴェルもプーランクもマイナーですよ。某氏。おフランス主義ばりばりも受けないみたい。諦めてマイナー道を上を向いて歩きましょう。

 …ほとんと私信の上、わけのわからない話題で面目ない。


■ 2003.11.10   不届き者

 大学で真面目に勉強しなかったことを後悔することは正直ほとんどないのですが(進路自体を後悔したことは数え切れないくらいあるけど)、あのヒマな時期に碌に本を読まなかったことは激しく後悔しています。この先、例えば『重力の虹』なんかをゆっくり読める日はもうきっとこないだろう。無人島に流されるでもない限り。時間云々以前に、活字を受け止めるだけの余力がないんですな。字を読むより、頭と目を休めなきゃって思う。ここが息抜きになっている間はいいんだけど。

 母から唐突に電話があって、ボーナスをもらったという喜びの報告がありました。やれ雀の涙だの割に合わないの恩着せがましいのと文句を言いつつ、どうやら嬉しいらしい。実はうちの両親、二人とも会社勤めをしたことがない。父は教員で半公務員だし、母は研究室のアルバイト助手をやったことがある程度で、早い話が学校から出たことのない二人なのです。こういう人はほんとうに世間とズレているもんですが(なんせ「宅急便送った」程度の用で平気で会社に電話を掛けてきたりする…)、母のほうが少し前からパートで働くようになって、いっちょ前に勤め人らしい文句を言い出すようになってます。50からの社会勉強。いいね。私は30から学生をやり直したい。勉強する気はあまりなくて(やっぱり不届き者)、本を読むためだけですけど。


■ 2003.11.9    ぼけぼけ休日

 投票に行って、本屋に行って、食料買いこんで帰ってきました。平和やね。

 普段、よほど切羽詰ったときでもなければ、休日に本屋のコンピュータ関連の売場をうろついたりはしないんだが、年明け早々に設置しなければならないサーバの設定ファイルひとつ書き換えられない状況というのは、まさに切羽詰っていると言えるんではないかと。入門書の類はほとんどWEB上の情報で事足りるのですが、コマンドリファレンスは本で持っているほうがいい。開発環境なんてインターネットに繋がない環境で作業することのほうが多いので、手元に辞書がないとどうしようもないのです。そうゆうわけでLinuxのコマンドリファレンスを物色してたら、『アホでマヌケなプログラミング』(Lepton著・翔泳社)を発見しました。

 いやなんちゅうか、いい書名ですよね。にやりとしちゃいますよね。アホでマヌケなプログラミング三昧の私なんか、笑いながら読むなんてほんとは言語道断なんですが、でもあんまり思い当たるフシが多すぎて笑っちゃう(新人の話のくだりなんか、もう)。でも、こういう話題って、システム開発が主体のはずのウチの職場でも盛り上がらないって、何なんだろうな。皆、上流工程志向なんだから。私はどっぷり下流が好きなんですけど、上流工程やる人(少なくともウチの職場の)の中には、プログラムなんか全然読まない(読めない?)人が多いです。大体、そういう人から降りてくる設計書は、まず碌なもんじゃないですね。まあ設計書が降りてくるだけマシとも言えますが。そもそも、上流・下流っていう分け方もどうかって話もありますしね。

 はいはい、コンピュータの話はやめやめ。休日にまでそんなこと考えるのやめよう。

 口直しに美術書のあたりを眺めていて、『Kingyo』(P・I・E BOOKS)という、これは写真集なのかムックなのか。とにかく厚さ約3cmの本が古今の金魚の絵や文章、写真、金魚がモチーフの小物の写真などで埋め尽くされ、最後のほうには図鑑よろしく金魚の種類の解説まである尽くしっぷり。金魚が泳いでいれば眺めていて退屈しないという程度で、そんなに熱烈なフリークでない私でも、思わずそのフェチっぷりに感動して買ってしまいました。3800円と高かったけど、しばらく退屈しなさそうだ。

 ところで、今ふと下をみたら、カウンタが5桁を突破していてびっくり。気づくの遅いし。とってもいい加減なカウンタでダブルカウント上等な上、3分の1くらいは私が不注意で回しているにしても、よくこれだけ回ったなあ。こんな辺鄙なところを見てくださっているなんて、何だか申し訳ない気分にも。かと言って入れ替えるような性根の持ち合わせはないので、今後もこんな感じでよろよろと書いていくかと思います。お暇なときに。生態観察程度に。どうぞよろしく。


■ 2003.11.8    タコ日記

 すみません。今日の話題はわからない/興味ない方は無視してください。わかる方はせいぜい笑ってください。

 ついに、仕事でLinuxサーバを触らなくてはならない時がやってきました。自慢でも何でもないんですが、私はLinuxやUnixはこれまで使ったことありません。育ちの悪いなんちゃってプログラマあがりなので、Windowsベースしかやったことがないのです。所謂「最近の若いモンは」というヤツです。やってきた開発用Linuxサーバは、漢前な環境マンがインストールした環境らしく、XWindowすら入っていない、ばりばりのコマンドベース。通りいっぺんの知識はあっても、触ったことがない人間にはとてもじゃないけど歯が立たない。何をどうすればいいのかはわかっているんですが、それを実行に移す段階、方法論でお手上げになるのですね。何しろコマンドが身体に入っていないし、viエディタなんて、発想が根本的に違うから初心者がすぐ使えるわけもない。

 そこは新しいもの好きなので、telnetで入ってがちゃがちゃ触っていたのですが、そのサーバがまた漢前な設定で、rootとdbaとその他強い権限の最低限のユーザしか作っていない状態。うっかりrootでなんだかわからない(本当にわからないあたりがどうしようもない)設定ファイルを開いてしまい、しかも閉じられなくなり、しかも開いたのがなぜかviでなくEmacsだったのが混乱に拍車をかけ、このままでは環境を壊しかねないので、先輩にタコ用ヨワヨワユーザを作ってもらいました。Windowsサーバの1つや2つ、壊れようが何しようがいくらでも復旧できるけど、コレは今の私にはとてもじゃないけど直せません。

 作ってもらったユーザで嬉々としてログインしたものの、lsすら使えない。「あーごめんごめん。設定入れるの忘れてた」 お、お願いします。せめてファイルの参照権限と、一定のquotaくらいは。ついでにデータベースはフル権限でいじれると嬉しいのですが。「あーそのへんの細かい設定は面倒だから自分でやって」 と言われてもお手上げなので、どこのファイルに何すればいいのかだけ教えてもらう。何がとっつきにくいって、ディレクトリの全体構成がわからないのが大問題。これ、ディレクトリの表示を全部フルパスで表示するようにできないんだろうか。「あーそれも設定でできるよ」 ほんとに?! やってくださいよとお願いしてしてみたら、「自分の環境は自分で作るんじゃ」 と一蹴された。漢の中の漢な発言ですが、タコの中のタコな今の私に言われても困ります。しかも権限いじるんじゃ、やっぱりrootで作業しなきゃいけないんじゃないですか。それが怖いからタコユーザ作ってもらったのに! 意味ないよ! 「いいよ壊しても。直してもらうから」 って、ちっとも良くないよ! 一応、この開発機のデータベース設定をしなきゃいけないのに、先が長すぎる。

 それはともかく、とりあえず今私の前に立ちはだかるのは、viのぶあつい壁です。コマンドリファレンスでも探そうっと。


■ 2003.11.3    ミニ土鍋

 すでに今の時期からミニ土鍋が大活躍です。これ、使いつけると便利なのですよ。1人分のうどんも、そのまま鍋焼き風に作れるし、お米から炊くお粥も簡単。汁物は勿論スープもシチュー(!)もOK。1〜2食分くらいの少量の煮物などに最適です。何より、鍋のままテーブルに持ってきてもオッケーなところが不精者仕様として最高。ビバ土鍋。

 今日は一人だけの休日出勤なのをいいことに、CDとウォークマンを持ち込んで音楽聴きながら仕事してました。ドキュメント書きのときはいいけど、プログラムいじってるときは、やっぱ音があるとダメだな。交響曲よりは、ピアノや弦楽器などの独奏のほうがよさげ。交響曲でも古典ならいいけど、ブラームスとかチャイコフスキーだと思わず拳握って聞き込んでしまいそう。もの好きな同僚は、「提案書書きのときにチャイコの『悲愴』とか、もう堪らんよ〜」などと言ってたけど、それ悪趣味だよ……


■ 2003.11.2    先立つものが

 ないので家でもそもそ。先月は散財しすぎた。風邪は治ったのかそうでないのかよくわからないし、それでなくても明日は出勤だから、大人しくしているのが吉。

 殊勝に本とCDの整理をしていたら、逆に行方知れずのものが気になって仕方なくなってしまった。たとえば、CDケースをあけたら違うCDが入っていたりしませんか? たぶんプレーヤーのCDを入れ替えたときにケースが見当たらなくて適当に入れたものでしょうが、こういうのが出てくると俄然気になるんですよね…… CD専用ケースからエゴ・ラッピンの『色彩のブルース』が出てきて、ケースに戻そうとしたらそっちにはラカトシュが入っていた。ラカトシュのケースが見当たらず、仕方なく玉突きでいまプレーヤーに入れて聞いてます。そんなことしてる間に探せや。私これでもA型なんだけど、絶対初対面で言い当てる人いないんだよなー…

処分本リスト更新。10月分は半分くらい妹その2が引き取ってくれることになった。


■ 2003.11.1    油断してたら

 もう11月ではありませんか。大変です。年末へのカウントダウンが始まります。積み残し多すぎです。

 この間タワレコで、プレヴィン作曲のヴァイオリン・コンチェルトのCDを見かけたのですが、そのジャケットにプレヴィン自自身の写真が使われてて、それに驚愕してしまいました。プレヴィンが、白髪。アオリにも75歳とか書かれている。思わず家に帰って手持ちのCDを見返してしまいました。例の、アシュケナージと組んだラフマニノフの『交響的舞曲』。1979年録音。私が生まれた後ではあるものの、記憶すら残っていない幼少のみぎりではないですか…… CDのライナーノーツに、ジョージ・ハリソンみたいな暑苦しい髪型のプレヴィンと若くて生意気そうなアシュケナージの写真があって、ついそれが刷り込まれてたみたいです。CDやレコードだけで充足していると、時が止まるな……

 オケの練習に行って、ブルックナーの4番とワーグナーの歌曲という、なんとも言えない組み合わせの曲をさらってきました。とにかくブルックナーはトロンボーンの譜面かと思うくらいに(失敬失敬)吹くところが少ない。逆にこの曲に限ってはトロンボーンのほうが出番が多いんじゃないだろうか。ワーグナーは今日初見だったのですが、譜面は全然難しくないものの、半端な休みの量と伴奏なんだか何なのかよくわからない使われ方をしているせいか、入りづらくて簡単にオチてしまう。今日はファゴット二人でさまよってしまいました。先生ごめんなさい。






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