2004年4月の不定期日記 戻る 
不定期日記

■ 2004.4.29    お祭り騒ぎ

 も昨日で終わり。飲み会の波状攻撃も終息です。

 なんとなく無気力になって、禁断の箱を開けてみたりしました。引っ越して以来開封していないダンボールが3つほど……呆れるほど本ばかり出てきました。あんなに処分したと思っていたのに。武田泰淳とか出てきて、自分で自分の蔵書にびっくり。武田泰淳は、『ひかりごけ』とかより『秋風秋雨人を愁殺す』みたいな中国もののほうが好きです。風もない天気の良い夜に一人で断崖絶壁に立っているような怖さがあります。人に押される心配もないし、風に吹き飛ばされる心配もない。自分がじっとしてさえいれば絶対に安全なのに、足元から吹き上がってくるかすかな風の気配が怖い。

 『鬼の橋』伊藤遊(福音館書店) 読了。


■ 2004.4.25    一日ひとつ

 私はどうしようもない面倒くさがりで、やらなきゃいけないこと、特に他の人との約束事はともかく、自分のためにやらなきゃいけないことを際限なく先延ばしにしてしまうのですが、さすがにそんな状態から脱却すべく、一日ひとつは用事(どんな些細なことでも)を片付けようと心に決めました。どこまで続けられるかな。(とか言ってる時点でどうですか)

 というわけで、今日はクリーニング屋さんに行って歯医者の時間をチェックして髪を切ってきました。一気に三つもクリアしたぞ。………ちなみに決心もう一つ。済ませた用事の繰越はないものとする。でないとすぐ、昨日三つやったから今日はいいやとか言い出すんだから。我ながら自分の性格はよく把握してます。

 髪、20センチ近く切りましたよ。めちゃめちゃ軽くなって嬉しい。ほんとはショートにしたかったんだけど、美容師のお兄さんと相談して、髪質的にパーマかけないとセットが難しいってなことで、肩くらいの長さに。半年くらい伸ばしっぱなしなこと、パーマは今かかっているのが一度目、もともとは筋金入りの直毛、ブローはあまりしない……などなど、いろいろ言い当てられました。ぐうの音も出ません。すごいよ。プロだね。(ってか、私があまりにも丸わかりなのか?!)


■ 2004.4.24    沈没

 あんな(4/20参照)日記を最後に沈没してたので、PCがついに再起不能になったかと思われた向きもおありでしょうが、違います。先週からこっち、飲み会の往復ビンタで私が再起不能になってました。今週なぞ、金曜が唯一の休肝日とはどういうことだ。それ以上に、あまり親しくない人と同席しなければいけないというのは、予想外に消耗するようで。というわけで、今日は引きこもることに決めました。

 GWは何しようかなあ。これも全然予定が立ってないのですが。たまには5日くらい引きこもって日付がわからなくなるのもいいかな。

 『指輪物語 追補編』J.R.R.トールキン/瀬田貞ニ・田中明子 訳(評論社文庫) 読了。
 索引部分を時間かけて、ちびちびと、ぼへーと読んでました。なんかこのときが一番幸せだったような。無人島に持っていくなら、辞書です。それも国語辞典ではなく、漢和辞典。なるべくでかくて分厚いやつ。百科事典を全巻持っていっていいならそれもいいけど。


■ 2004.4.20    大好きな

 サイトさんに勇気を出して書き込みしようとしたらPCがブルーバックで落っこち、そのままふて寝した巽堂です。まったく験が悪い。

 その上、昨日は午後から雨が降るという予報だったのに会社から出る頃にもそんな気配なかったので、勝った! とばかり飲みに行ったら、その帰りには土砂降りだったのでした。(勿論傘はない)

 空回りしてますね。


■ 2004.4.18    休日らしく

 終日家でごろごろだらだらしてました。だったらサイトの更新でもしたらどうなんだ。いえ、はてなをいろいろ弄っていて疲れてしまったんでした。たったあれだけのレイアウト変更なんですが、その前に散々試行錯誤しまくってたんですよ。一応言い分けさせてもらえば。

 沖縄土産に買った沖縄そばを食いました。太くてこしのある麺の食感が好きです。スープも美味しくて、鍋に残ったのを少し薄めて野菜とマカロニのスープにしました。明日の朝御飯できあがり。

 昨日買ったチェンバロのCDを聴いてます。『ニコラウ・デ・フィゲイレド プレイズ J.S.バッハ』(Alquimista Records)。チェンバロってーとなんだかお高そうでお上品そうで古めかしくて大袈裟なイメージがあるけど、この人の演奏は全然違う。聴いててすごく気持ちいい。すごく自然にさらさらと音が流れていって、それでいてなんともシャープで鮮やかな印象が残ります。妙なタメもない。多分、テンポ感と間の取り方が自分にあってるんだろうと思うけど。ライナーノーツに「踊るバッハ」って書いてあるけど、まさにそんな感じ。身体を動かしたくなる音楽です。古楽でそんなふうに感じることってまずないよね。この人きっとリズム感がすごくいいんだ。身体が気持ちいいスピード、リズムってものが頭じゃなくて身体に入ってるんだと思う。悪いけど、この人のバッハ聞いたあとにツィマーマンのラフマニノフを聞いたら、なんとも鈍重に聞こえてちょっと衝撃的。前から思ってたんですが、ツィマーマンってリズム感がイマイチ。テンポゆらしたり歌ったりというのとはちょっと違う、リズムのハメ方がちょっとしっくりこないこと多いです。テクニックは折り紙つきですが。身につまされるなあ。私もリズム感悪いです。伴奏楽器のくせに。

 チェンバロってやっぱり華やかな音ですね。このCDの中ではトッカータニ長調(BWV912)が一番好きなんですが、この曲よくよく聞いていると、なんか口笛吹いているような音が一緒に聞こえる。空耳じゃないよね。いいなあこのノリ。さすがラテン系。フィゲイレド氏はブラジル、サン・パウロ出身。
※そういえばグレン・グールドの録音も、よく歌ってる……というか、うなってる声が入ってますよね。これだけでもキャラの違いが歴然。

 指輪マラソンを更新しました。


■ 2004.4.17    芋焼酎ブーム

 らしいですね。伊佐美、黒霧島、吉兆宝山。昨日おとついと飲んだもの覚書。お店ではロックが多いですが、鹿児島県出身者には必ずお湯割を薦められます。香りが出て甘いそうな。家でみんなで飲むときはそのほうがよさそうですね。

 昨日はめちゃめちゃおいしい焼肉屋さんに連れて行ってもらいました。久々にたらふく肉を食いました。焼肉ってそれほど好きじゃなかったんですが、ここのは別格。松坂牛とか近江牛を焼肉にしちゃうなんて贅沢です。それなのに1人前1000円前後なのが信じられん。レバ刺しも牛ネギトロもおいしかった。新境地でした。先輩ありがとう。

 『真珠の耳飾りの少女』を観て来ました。とにかく映像が綺麗。フェルメールの絵の構図そのまんまのカットてんこ盛りでした。スカーレット・ヨハンソンのちょっとした目の動きとか仕草とかが素晴らしいです。ああいう台詞の少ない、表情で演技しないといけない役って、ほんとに難しそうですね。美しいコリン・ファースのお姿も拝めて大満足でした。コリン・ファース、『アナザー・カントリー』のときから大好きです。ルパート・エヴェレットがタイプじゃなかったので、ひたすらコリン・ファースに釘付けになってました。ところで、オランダを舞台にした映画を英語でやるってのはどうなんでしょうね。私なんか英語だろうがオランダ語だろうがいっしょくたですけど、欧米の人は気にならないのかな。だって、中国を舞台にした映画を日本語でやるようなもんでしょう? ……そう考えるとかなり違和感あるな。

 映画の時間を待つ間、山野楽器でCD試聴大会。ついでに衝動買い。ツィマーマン&小澤征爾&ボストン響のラフマニノフピアノ協奏曲第1番・2番。他にも……。ラフマニノフのピアコン2番て何枚目だ?(このラフマニノフ馬鹿!) でも1番を聴いたことがないから…という言い訳。ツィマーマンはなんだかお行儀が良すぎて……と敬遠してたんですが、これはわりにはっちゃけてて良いかなと思いました。低音もガンガンに効かせてて大変よろしい。ときどきちょっとリズムが硬すぎるかなーと思うときがあるけど。もうちょっとだらしなめに弾いてくれても、とも。これからゆっくり聴きます。


■ 2004.4.14    休足

 この一週間、お客さん先のイベントに駆り出されてます。立ちっぱなしでつらい。休足時間が手放せません。通勤時間がいつもの三倍なのもつらい。というか今の職場、近すぎるんですよね。

 帰ってきてぐてーっとしながらtindersticksの『donkeys 92-97』を聴いてます。このCDがどうして手元にあるのかよくわからない。tindersticksって全然知らないし。でも誰かに借りたままとか貰ったということもないはず。ジャケ買いしたとも思えないしなあ。でもたまーにこのテンション低い音を聴きたくなります。この音程があってるのか外れているのかよくわからない、でもつややかな低音のボーカルが気持ちいいんですよね。

 相変わらず『追補』をゆるゆると読んでます。やっと何のことだかわかった固有名詞がいっぱい。言語学パロディはやっぱり大マジでちょっとびびりました。

 明日あさってとニ連荘で飲み会。気合入れよう。<気合ポイントはそこか。


■ 2004.4.11    はしご

 というと、迷わず「酒?」と切り返されるのは、余程私の普段の行いが悪いのか。映画です映画。

 『25時』
 「絶望の底から希望を見いだすアメリカの姿」みたいなレビューを目にしたんですが(うろ覚えなので正確な表現じゃないと思います)、でもこれ希望? 希望か? 主人公モンティが麻薬取引でパクられて収監されるまでの25時間を描いた映画。モンティが呪う雑多な人種が寄り集まったNYの映像の、色彩に溢れてきらびやかなこと、騒々しいこと、空虚なこと。最後に息子を刑務所まで車で送っていく途中、モンティの父親が運転しながら語る、モンティにあったかもしれない別の人生の美しいこと。でもそれは幻で、あるのはモンティが呪ったNYの姿と、刑務所で生き延びるために親友に殴らせ、醜く腫れ上がった彼の顔だ。壊れたアメリカを描いた映画は数多くあるんでしょうが、私が一番に印象に残っているのは『アメリカン・ビューティー』です。でも『アメリカン・ビューティー』の主人公は、幻想のなかで幸福な死を迎えたけれども、モンティは生きていかなければならないというところが決定的に違う。「生き延びるために何でもしろ」というロシアン・マフィアのボスの言うとおりに。顔を殴らせて醜くして。あるいはグラウンド・ゼロを見下ろしながら。夢見るときは終わったのだと。そういう映画だと思ったんですけど、どうですかね。正直言って、アメリカがぶっ壊れているのは前々から明白なことで、これ以上映画でまで見せてもらわなくて十分と思いました。

 にしても、エドワード・ノートンはすっかりチンピラ役が板についてきてしまいましたね。これでイメージ固まっちゃうと残念だなー。あとフィリップ・シーモア・ホフマンが女装してないのを久し振りに見ました。これこそ固定観念?

 『グッバイ・レーニン』
 最高にキュートでコミカルでずっしり重い映画でした。ヘリで吊るされて撤去されるレーニンの映像。あれって今だからこそ撮れるんだろうなあ。ベルリンの壁崩壊とか、東西統合の式典の花火とかの映像は、全然当事者じゃない私から見ても感動的。自分たちで勝ち取ったものがあるって、きっと国民の意識として強いでしょうね。だからなくなったときにも心臓発作起こしかねないくらいショックなんだろうな。だから占領時代の日本では暴動が起きなかったのか。ダニエル・ブリュール、素朴な男前で良いです。チュルパン・ハマートヴァが最高に可愛い!

 でもって、覚書。
 『オーシャン・オブ・ファイヤー』>4月。地元で見られるはず。ヴィゴ! それと馬!
 『キッチン・ストーリー』>そろそろやってるはず。どこだっけ…?
 『THE DREAMERS』>シネスイッチ銀座。7月。ベルトルッチ。
 『ヴェロニカ・ゲリン』>恵比寿ガーデンシネマ。今夏。ケイト・ブランシェット!
 『SAZEN』>恵比寿ガーデンシネマ。今夏。豊悦! 麻生久美子!


■ 2004.4.10    お引越し

 らしく、今日明日にかけて、はてなさんが全面停止です。連絡来てたのに忘れてました。取り急ぎ告知。こんなとこに書くのも何ですが、あの最果ての地を見てくださっている方はきっとこちらも見てくださっているだろうと。

 本日の指輪
 『追補』楽しいです。執政家がポイント高いです。私がだらだらと日記に呟いてた印象がばっちり書かれてました。弟は文系、兄貴は体育会系。ゴンドールの代表としてファラミアがロリアンに行ってたら全く違う話になりそうです。アラゴルンやっぱり二つ名多すぎです。エステルにソロンギル? もう勘弁してくれ。最初から『追補』を手元に置いて本編を読めばよかった。今ドゥリンの一族のとこを読んでますが、この先の言語学パロディを実は楽しみにしてます。いや、パロディだと思いたいけど、ぱらぱら読んだ感じでは結構本気くさい。物語のなかだけにとどまっているからいいんですけど。文字や言語を作りたいという欲求は、究極的には世界を自分のものにしたいってことなんじゃないかと思います。それが空想の世界にとどまればいいけど、現実世界を侵蝕しはじめると大変不気味です。日本の神代文字とかエスペラントとかを胡散臭く感じるのは、このせいなんだよな。


■ 2004.4.6    To be continued

 『指輪物語 王の帰還・下』J.R.R.トールキン/瀬田貞ニ・田中明子 訳(評論社文庫) 読了。
 みんなみんなおつかれー! やっぱり終いはこれで結んでしまう私。『二つの塔』下巻からこっち、サムがむちゃくちゃ名台詞吐きまくりです。「めでたしめでたしというのは、家に戻って来て、そして何も変わりがないってことを見つけるこってすからね」(『二つの塔・下』) だからまだ旅は続くんだよねきっと。

 ちょろっとしか出てきてませんが、ロージーいいキャラです。映画のロージーも可愛かったな。女優さんの名前見損ねてしまった。

 なんとなーくゴンドーリアンをローマ人、ロヒアリムをケルト人ぽく想像してましたが、田中明子さんの訳者あとがきを読んだら、あながち見当外れな印象でもなかったようです。映画に出てこなかったキャラのキャスティングをいろいろ考えて遊んでいるのですが、ベレゴンドは昨日決まったものの、イムラヒル公が決まりません。キラキラ金髪の美中年なんてそういるもんじゃないです。ちょっと地味めだけど、いまのとこコリン・ファースが一押しかな。ハルバラドは誰だろう。ローハンの騎士がお子ちゃまに見える威厳と落ち着き。ショーン・コネリーではちょっと人間が丸すぎるかな。

 『追補』を読み始めているんですが……何ですかこれは一体。ここまでくるとマニアック通り越してオタッキーです教授。でも聖書でも創世記が実は好きだった私は完全に同じ穴の狢で、嬉しがって固有名詞の海に溺れております。てゆうか、これ読まないとあちこちの細かいエピソードがわからないですよね。でもそうするとまたいちいちそのエピソードを確かめたくなるし、世界観が掴めたところでもう一回読むとまた違いそうだし……って、フルマラソン? も、も一回?


■ 2004.4.5    大団円まであとちょっと

 『指輪物語 王の帰還・下』J.R.R.トールキン/瀬田貞ニ・田中明子 訳(評論社文庫) 読み中。
 フロドとサムの道行きに涙。オークからのフロド救出劇、よれよれの状態での最後の山登り、今にも振り切れそうに天秤の上を揺れ動くフロドの精神、指輪とゴクリの最期。映画を見ていたのがプラスに働いているとは言え、怒涛のようなドラマに胸が熱くなりました。ホビットが出てくるシーンは、これまで実はちょっと退屈してました。第一部の『旅の仲間』が最たるもので、ヤツらの能天気さ軽薄さ、田舎くささにいらいらしたりもしてましたが、『二つの塔』下巻から一気に巻き返し。しかし、この期におよんでゴンドール連合軍が黒門を攻める必然性が実はよくわかっていません。きっとどこかを読み飛ばしたんだろうな。あとで要巻き戻し。それより、こんな危急存亡のときに、留守居役のファラミアがエオウィンを口説いています! おいおい。それはいいけど、あまりの理路整然たる口説きに口あんぐり。ぐうの音も出ません。認識を改めましたよファラミアさん。そして案外あっさりオーケーするエオウィン。……エオウィンとボロミアって、タイプ似てるかもしれませんね。ボロミア(がもし生きてて)とくっついたら、世にも恐ろしいイケイケなカップルが出来上がりそうです。こんな二人、止める人がいません。ファラミアで良かった。

 ……いつにも増して阿呆な感想ですみません。でもファラミアとエオウィンのエピソードには、ボロボロになって命がけで指輪を始末したフロドとサムの感動が危うく吹っ飛びそうでした。

 映画『carmen.』を観てきました。イギリス人てどこにいても一発でイギリス人とわかりますね。全体に白い衣装とか乗馬ズボンとか、眼鏡とか。そういう典型的なイメージをあえて出しているのかしら。パス・ヴェガとペネロペ・クルスは黙って立っていれば黒髪黒い目に面長と結構共通点はあるのに、パスのほうが圧倒的にカルメンなんでした。レオナルド・スバラグリアが美男子かどうかは意見が分かれるところですが、きっと横顔の人が良さそうなところが抜擢のポイントだったんだろうと勝手に想像。ベレゴンドを演らせるなら彼だ!とさらに勝手に一人で盛り上がってました。……どこまでも本編と関係ない感想。フロドと同じくらい指輪に蝕まれてます。


■ 2004.4.4    指輪佳境

 『指輪物語 王の帰還・上』J.R.R.トールキン/瀬田貞ニ・田中明子 訳(評論社文庫) 読了。
 ベレゴンド! いい奴です。この人、映画にも出してほしかったな。脇だけど、ゴンドール一般人を代表するようなとても重要なキャラだと思います。イムラヒル公といい、脇役の書き込みがすごく丁寧で一人一人個性があって面白い! 誰一人として物語をもっていない登場人物はいないのだという風です。エオウィンが何故自分が一緒に行ってはいけないのかとアラゴルンに食い下がるところ。そうだそうだエオウィン! もっと言え! しかし寺島さんの絵は中世ヨーロッパ絵画やイコンのようなタッチで雰囲気あるとは思うんですが、やっぱり映画を見た後だとギャップが大きいです。ナズグルを斬るエオウィンの勇姿にくらくら。その後、アラゴルンに癒されるファラミアの図に第二回目のショック。うう、罪作りだ映画。でも逆にストーリーの厚みから言えば、原作のほうが映画より遥かに濃いですね。ボリュームが全然違うから当然か。映画には時間という制約があるから仕方ないと思うし、あのボリュームのエピソードを全部映像にしたら、見るほうもかなり混乱しそうだ。というわけで別に映画が薄かったとは思わないし、あれはあれで表現方法が違うんだと。

 ところでゴンドール人て原作では黒髪に灰色の眼なんですね。映画の執政兄弟のあのキラキラの金髪は一体……役柄的にはそれぞれぴったりの役者さんだったと思いますが。体育会系単純思考、父上至上主義の兄と、父も兄も愛しているけれども自分は愛されないことを深く自覚している屈折した影のある弟。キャスティング上手いです。ああだめだ。『二つの塔』から映画もう一回見たいです。『王の帰還』はまだ行けるけど、『二つの塔』はやっぱりDVDしかないのか。

 昨日の日記で、指輪世界の民族の描写について書いたときに、どこかで似たような意見を読んだなーとぼんやり思ってましたが、思い出しました。作家・佐藤亜紀さんのサイト("大蟻食の生活と意見"の「原作殺し」)でした。似たようなどころか、酷評されてました。たはは。全然憶えてなかったよ私。鳥頭。佐藤さんの言う「すこぶるアングロサクソン的な無邪気さ」ってのには、全くの同感です。他にも納得できる部分もそうでない部分もありますが、あえて反論させてもらうなら、原作を全部読んでいなくて(第一部でさえも)、どうして映画に原作への批評精神が全くないと言い切れるんでしょう。佐藤さんは文中で指輪物語原作を最後まで読んでいないことを明言してますが、批評をするならそれはエクスキューズにはならないと思うな。うう。苦し紛れ。それでも私は佐藤さんのファンだったりするので、今日書店で『雲雀』を見つけて買ってしまったりしてたんでした。あーあ。先月に引き続き火の車。


■ 2004.4.3    虚脱状態

 の土曜日。

 『指輪物語 王の帰還・上』J.R.R.トールキン/瀬田貞ニ・田中明子 訳(評論社文庫) 読み中。
 デネソール登場! 堂に入った悪人っぷりに惚れ惚れ! 映画のデネソールはヒドい人っぷりより息子を亡くした老人の狂気と悲哀が勝ってましたが、原作版では、全くの正気、明晰な判断力を持った上で、それを鞭打ち焚きつける狂気にくらくら。強烈な自負と誇りとエゴイズム、それを支える冷徹な判断力、洞察力と精神力。素敵すぎる! やっぱりこういう人がいないと歴史は面白くない。デネソールがボロミアを可愛がるのは、彼が良い意味で単純馬鹿だからです。逆にファラミアは自分に似過ぎてて同族嫌悪。です。きっと! 彼はリア王ではなくてマクベスです。それも、マクベス夫人の存在なんか必要ない、強靭な野心家。これまで出てきた登場人物のなかで最も陰影のあるキャラクターだと思う。

 ところで、自分でも自分の映画や原作の感動に水を差す感想だとは思うんですが、ゴンドール人やロヒアリムなど、善玉キャラがあからさまに西洋人風の容姿で、黒の陣営につく民族、ハラドとか東夷なんかがあからさまに非西洋人を想像させる描写なのが気になります。そういう意図がないにしても、不快に思う人いないのかな。欧米人の先入観というか固定観念って強固なんだなーと改めて思います。

 さすがに散らかってきたので、指輪感想をまとめました。また溜まったらここに追加します。


■ 2004.4.2    疎通

 さんざん長電話し、話し、怒鳴り合いまでし、疲労感だけが残りました。どうがんばっても疎通できない人というのは、確かにいます。そして、逆鱗てのはあるんだなと、他人事のように感心してしまいました。自分でもどこから出てきたのかって声で最後通牒を叩きつけていた自分に自分でびっくり。あんな大声出したのはここ数年ぶりだ。疲れた。






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